「子どもの道路遊び」についての

世間の感覚




 某インターネット掲示板の育児関連掲示板で、道路で遊ぶ子どもについての話題(以下「道路遊びスレ」)を見つけた。
 書かれている内容には、当会(※1)会員が読んだら唖然とするようなものが多い。しかしそれは、世間の決して少なくない人たちが思っている本音でもある。
 活動の展開を考えるうえで、そういう意見を知っておくことも有益だ思うので、ご紹介する。


 その道路遊びスレは、「道路や駐車場で、他人の迷惑も顧みずに遊んでいるDQN(ドキュン。“非常識”の意味)の子どもとその親たち」を罵倒する場だ。
 「DQNにクルマを傷つけられた」「DQNの声がうるさくて迷惑」「そんな奴らは警察に通報」「道で遊ぶDQNが車に轢かれても自己責任」といった発言が多数を占める。

 そんな中に、「道路って“絶対に”遊んではいけない場所なのか」という問いかけがあった。
 「通行量の少ない路地などで、周囲の住宅に充分気を遣い、親の適切な監視の元で、大声を出さない、車や住宅に充分配慮するなど、“常識的”に遊ぶのなら、ある程度は許してもいいのでは」という意見だ。
 発言者自身が記した、論点の要旨を引用する。

 子どもの遊び場(公園など)が足りない。あっても、移動する間の危険性がぬぐえない。家から一歩外に出れば危険と背中合わせ、という状態を放置しておいていいとは思わない。

 そもそもは、道路とも生活の場(広場)とも言えない空間があって、子どもが遊び、大人もくつろいでいた。そこを車が走るようになった。

 子どもは子ども同士で移動したり遊ぶことが、成長のためにも必要。だからせめて家の周辺には、安全でいられる空間があってしかるべきだ。

 新しい公園確保や、そこまでの道路の整備は、当然なされてほしい。しかしその前に、車の通行量が限定されている細い路地や私道であれば、子どもが安全にすごせる場所(≒遊び場)として認めてもいいのではないか。

 実際に、それを容認する「コミュニティ道路」も普及してきている。「道路遊び厳禁」と言わずに、こういう道路の存在やいっそうの普及を認めてほしい。(後略)

 この意見に対して、以下の反論(要旨)が寄せられている。

・道路で許されるのは、移動そのものを楽しむ遊び(散歩、ハイキング、マラソン、サイクリング等)だけ。それ以外は、保護者が監督していても絶対にダメ。

・道路は遊ぶ場所じゃない。歩行の邪魔にもなるし、幼児が大声出さずに遊ぶわけがない。遊びもどんどんエスカレートしていく。

・家は憩いの場。子供の奇声で生活を脅かされたくない。自分はコミュニティ道路の近くには住みたくない。

・道路を遊び場として開放するのなら、道路交通法も見直して欲しい。ドライバー側に非が無くても一方的に悪いとされるのは納得いかない。

・道路で遊ばせて自分の子供が死んだらどう思うか?

・子どもには「遊んでいい道路」と「遊んではいけない」道路の判断はできない。「遊んでいい道路」を認めると、どんな道路でも遊ぶようになる。

・どんなに小さくても公園を増やそうという方向に話を持って行くのが本道だ。

・車社会と共存するしかなく、やはり外遊びしたいなら公園に出かけるべき。公園までの道中の安全は親がなんとかするしかない。

・公園まで連れて行って、遊ばせて、連れて帰る、という手間を親が惜しんでいるようにしか見えない。

・親としての責任を放棄していないからこそ、自分は道路でなど遊ばせない。

・迷惑なのも勿論だが、子供の安全を考えても、「道路・駐車場遊びのない社会」を望む。

 発言者が「往来の少ない路地などで、親の適切な監視の元で、充分に配慮して」と断り書きしてあるにも関わらず、まったくの拒否反応。
 確かに法的に道路遊びは禁止なのだが、クルマが通らないコミュニティ道路や、私有地である私道での遊びも、容認しないという。

 ただ、返信をしている人には、ぼくが読んでも非常識と思う子どもや大人によって、実際に迷惑を被り、腹立たしく思っている人も多い。だから容赦のない反論にやむを得ない面があることを、考慮する必要はあるだろう。


 さて、反論をおおざっぱにまとめれば、「道路は移動するための空間。当然クルマも走る。そこで遊ばせるのは危険だし、無責任。公園を増やすのが本筋」ということだ(※2)。いま目の前にある道路の有りようを自明の前提としており、そこからイメージが広がっていかない。
 発言者は、そんな道路の改善を訴える。「危険だからこそ、危険でない道路が必要。公園を増やすのもいいが、そこに行くまでの道路の安全性の確保が優先されるべき。最終的には、遊びを含む“生活の場”として、道路を取り戻したい」と問い返す。
 次第に、地域社会や家庭教育のあり方にまで、話題が広がっていく。

 けれど、いくらやりとりを繰り返しても、理想を語る発言者と、現実を語る反論者との間の溝は埋まらない。発言者はやがてそれに気づく。
 「おれの頭の中でイメージしている「道路」と、皆さんの目の前にある「道路」に落差があり、それを最後まで詰めることができなかった」
 「思っていたほどには条件が揃っていないことが、よくわかった」
 そう述べて、書き込みは終了した。
 賛同はしないまでも、一応の理解を示す書き込みも2、3あった。だが全体としては、まさに水と油、交わる部分はほとんどなかった。

 発言者の問いかけは、「会のめざすもの」(※3)に通じている。そしてそれは、ネットの世界では共感を得ることができなかった。

 道路遊びスレの利用者は、世間の多くの人の中では極めて少数でしかない。とはいえ、決して特別な人たちでなく、子育てをしながら生活している、ごくごく普通の大人たちだ。
 ともすると「会のめざすもの」も、上の展開と同じように、現実無視の絵空事、あるいは“クルマ嫌いの独りよがり”と受け止められる可能性がありそうだ。
 周囲の人や世間への働きかけをするときには、その点を充分に意識する必要があると、強く感じた。


※1 クルマ社会を問い直す会 http://www.ne.jp/asahi/z/z/tnk/

※2 返信に「子どもは公園で遊ばせるべき」との声が多いが、一方で、「公園はDQNのたまり場。公園の近くには住みたくない」という書き込みも多数あった。公園(子ども)を“迷惑施設”扱いする身勝手さに、呆れてしまう。

※3 同会のスローガン。「クルマ優先でなく人優先の社会へ」「安全に道を歩きたい」「排気ガス、クルマ騒音のない生活を」「公共交通、自転車は私たちの足」「減らそうクルマ、増やそう子どもの遊び道」の5つ。

(2006年7月・クルマ社会を問い直す会会報第44号、一部修正)



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