クジラ問題について考えた




投稿誌『言わせろ』80号で、クジラを食べることについて特集しました。
その時点では、考えがまとまっていなかったので、ぼくは投稿を見送りました。
その後、特集に寄せられた文章を読んで、ぼくなりに考えました。



 クジラを取り上げた前号のテーマを興味深く読んだ。
 何人もの意見が掲載されていたが、その多くは、「クジラを食べるのは日本の食文化であり、それについて他人(反捕鯨団体、他国)からどうこう言われる筋合いはない」というものだった。
 じつはぼくも、ほとんど同意見だ。
 ただ、素直にそう主張することはできない迷いがある。迷いとはどのようなものか、以下に述べる。


 クジラを食べるのは日本の食文化である。これは確かだ。しかし「である」ではなく、「であった」と書くほうが、実情により近い。
 いまでも日常的にクジラを食べているのは、前号のなかでは1人だけ。残りの人は、食べたいと思わないし、「食べられなくても寂しくない」ともいう。ぼくにしても、正直なところ、特別に食べたいとは思わない。
 「日本の伝統的食文化である」と主張しつつ、その伝統文化を自らは伝承しようとはしない。では、誰が後世に伝えるのか。

 文化というのは、継承されていくことに意味があると思っている。博物館に展示されるのでなく、日常に息づいてこそ、伝承されていくのだ。
 たとえば和服。「和服は日本の伝統文化である」と訴えることはできても、はたして今、どれだけの人が和服を着ているのか。
 もちろん、他人から「着てはならない」と面と向かって言われれば、誰だって反発を覚えるだろう。ぼくも同じだ。しかし反発しつつも、ぼくは和服をほとんど着たことがなく、持ってもいないし着付けもできない。要するに和服文化の伝承者となろうとしていない。「誰かが」守ってくれるだろう、守って欲しい、というスタンス。

 文化を守ろうという気概がなく、行動もせず、でも「守れ」と主張することは、ぼくにはできない。


 もうひとつの迷い。それは、いわゆる反捕鯨団体が「クジラを“絶対に”捕ってはいけない」とは言っていないことだ。
 相手方(別に反目しているわけじゃないが)の主張を知らないところで、議論にはならない。ということで、前号の特集でも名が挙がっているグリーンピースのホームページ(※1)を調べてみた。
 そこに書かれている、「クジラ問題に対する考え方」を引用してみる。
1)商業捕鯨再開に反対します。
 グリーンピースは、クジラを食べることや伝統捕鯨を否定しているわけではありません。商業捕鯨に反対しています。(後略)
2)日本の調査捕鯨中止を求めます。
 調査捕鯨は、商業捕鯨同然です。
 捕獲した鯨肉は市場で売られ、その額は卸価格で年間約40億円にも上ります。その経費に約10億円の税金が毎年投入されているのです。(後略)
3)公海資源は、国際的な了解の下に利用すべきです
 (前略)調査捕鯨が行われている海域はIWCによって、1994年にクジラの保護海域(サンクチュアリ)に指定され、恒久的な保護区域となっています。
4)捕鯨問題は、地球資源の過剰利用に関する問題です
 グリーンピースの活動は、反・過剰漁業(商業捕鯨)です。(中略)気候変動、有害物質、核問題などに取り組む環境保護団体として、海洋生態系を保護する観点から捕鯨に反対しています。
 1と2をあわせると、日本のみをターゲットにした反捕鯨じゃないか、と感情的に解釈することもできなくはない。
 とはいえ、冷静に読めば、問題にされているのは、日本人が「食文化としてクジラを食べること」ではなく、「クジラを捕ること」または「クジラの捕り方」だとわかる。

 より詳しく言えば、問題の核心は、日本が商業捕鯨を再開したがっていることだ。
 商業捕鯨とは、企業が商業目的で捕鯨をすること。つまり売るために捕ることだ。以前は行われていたが、1982年にIWC(国際捕鯨委員会)が「商業捕鯨モラトリアム」を決定し、以降、日本は調査を目的した捕鯨のみ行っている。政府と捕鯨団体は、このモラトリアムを解除し、商業的に、営利目的で捕れるようにすることを目指している。
 とはいえ、さすがに、好きなだけ捕らせろ、とは主張していない。日本捕鯨協会のホームページ(※2)の「捕鯨問題Q&A」には、以下のように記されている。
 (〔 〕内は梅沢付記)
 公海〔南氷洋〕の資源〔クジラ〕を日本だけが独占するようなことはもちろん許されませんし、日本は、そのようなことを求めているわけではありません。公海の資源であってもそれを枯渇させることなく、安全に利用していけるのであれば、適正な国際管理の下でその利用を求める国に、資源を利用させることが公海資源管理の正しいあり方であると考えます。
 また、同じホームページにある「地域社会と鯨に関する全国自治体サミット宣言」(※3)には、次のように記されている。
(1〜4は略)
5.鯨類資源の持続的利用を図るため、科学的調査に基づく商業捕鯨を早期に再開すること
 他の資料を併せて解説すれば、商業捕鯨推進派は、科学的に調査し、調査結果に基づいて適正な手段で頭数管理することで、クジラという食用資源を持続的に有効活用していく、と主張する。だから商業捕鯨を再開させろ、と。

 この主張に対して、ぼくの頭には単純な疑問が次々と湧いてくる。

●先に述べたように、食文化としてのクジラは風前の灯火だ。なのに、売るために捕りたいというのはなぜ故なのか。仮に捕鯨量が増え、鯨肉の価格が安くなったとしても、みんなが食べるようになるとはとうてい思えない。

●日本の漁業では乱獲が指摘されている。底引き網など一網打尽の漁業のおかげで、近海漁業はひどい状態になっている。捕鯨会社にしても、クジラの生息数にダメージを与えるほど乱獲をするおそれは充分にある。「枯渇させることなく、安全に利用」するための管理手段を、政府なり捕鯨団体は確立することができるのか。

●かつて日本の捕鯨会社は、規定された捕獲数を上回る数を捕っているのを隠していた過去がある。規定以下の体長のクジラを採寸時にごまかしたり、オスメスを偽って報告するなど、各種の隠蔽工作も行われた(以上※4)。商業目的の捕鯨が再開されれば、このような事態が繰り返されるのは目に見えている。はたして日本の企業、日本政府に、「適正な」管理能力はあるのか。

●各種クジラの生息数は、各種各様のデータがあり、そのいずれも推定値だ(広い海の中に棲んでいるのだから当然だ)。このようなあやふやな数値を根拠にして、「ある種のクジラは生息数が多いから、捕ってもよい」と言えるのだろうか。

●クジラの生態にはいまだわかっていないことが多い。仮にある種のクジラの生息数が実際に多いとしても、そのうち間引き(捕鯨)しても問題ないという数をどのように導こうというのか。「何頭までは捕っても大丈夫だが、それ以上捕ると乱獲になる」というラインを、どのような根拠で、どのように引こうというのか。

 同じ疑問を、グリーンピースほか反捕鯨各団体が訴えている。商業捕鯨を再開したいのであれば、捕鯨推進派は、これらの疑問に答える義務がある。
 ぼくとしても、納得できる答えが出されない限り、商業捕鯨再開には懐疑的だ。


 ちなみに、日本捕鯨協会のホームページには、「反捕鯨団体への公開質問状と回答」が掲載されている(※5)。発信はIWC下関会議推進協議会、回答は反捕鯨4団体。
 捕鯨推進派と反捕鯨派とのやりとりということで、興味を持って読んでみたのだが、正直言って期待はずれだった。
 反捕鯨団体が公開質問状を受けて、ぼくが述べたような疑問を回答すると、推進協議会は「鯨類資源を枯渇させることなく持続的に利用することを否定する明確な根拠をお持ちかどうか」(推進協議会からの回答書より)のみを争点とし、これに回答がないからと議論をうち切っている。出された疑問に対して、反論を提示しない。議論をふっかけたわりには結論はお粗末。

 議論を積み重ねていこうとはせず、一方で商業捕鯨再開に向けて工作をする……。そういう不誠実な姿勢は、意見の異なる相手に反感を与えるだけだ。
 もっとも、双方ともに相手に深い不信感を抱き、感情の上で歩み寄れないほどこじれているのが、クジラ問題の難しいところなのだが。


 長々と述べたが、上のような考えを踏まえつつ、いまのところでのぼくの結論を述べる。

●日本近海で捕れるクジラ類を乱獲しない程度に捕ることと、座礁クジラを食べることに問題はない。(反捕鯨団体もこれは認めている)
●現在行っている調査捕鯨には、それなりの意味があるのでは。したがって続けてもいいと思う。ただし、その方法や捕獲頭数などについて、各国・各団体のコンセンサスを得るためにいっそうの説明努力をし、改善すべきは改善することが条件。
●商業捕鯨再開には反対。いまの日本では「適正な管理」は期待できない。


※1 http://www.greenpeace.or.jp
※2 http://www.whaling.jp
※3 http://www.whaling.jp/ketugi/ketugi002.html
※4 『週刊金曜日』2001年7月20日号(372号)、『日本沿岸捕鯨の興亡』(山洋社)の著者・近藤勲氏へのインタビューを参照した。なお、『日本沿岸捕鯨の興亡』の要旨は以下に紹介されている。
http://www.greenpeace.or.jp/library/01whale/02/index.html
※5 http://www.whaling.jp/hanho.html

(2002年12月・投稿誌『言わせろ』81号)



inserted by FC2 system