クルマのない日常




クルマと人とのありようを見つめ直すことを主旨とする
「クルマ社会を問い直す会」に参加し、会報づくりを手伝っています。
以下は会報の編集後記に寄せた短文です。
一番上が最新のもので、以下時間をさかのぼっています。

  ご参考:クルマ社会を問い直す会 http://boat.zero.ad.jp/~zbj34761/tnk/



 娘が4月から中学生になり、自転車通学を始めます。
 入学説明会の資料によると、通学用として許可するのは、ライト、スタンド、前かご、泥よけ付きで「普通の」ハンドルの自転車だとか…。ご近所さんに聞いたら、つまりはいわゆるママチャリだそう。棒状のハンドルだったり、目立つ色だったりすると、それがいじめの理由になるかも、と。
 「普通じゃない」「皆と違う」ことに対して、子どもたちが(大人も)異様に気にするご時世に、極めて主観的な言葉で暗に車種を指定するとは、何と安易なことか…と嘆息しきり。
(51号・2008年4月)


 ネットの地元掲示板に、「塾の真ん前の道路に、お迎えの車の駐車列が並び、近所の者として迷惑している」と書き込みがあった。直後に「車による子どもの送迎は、もはや社会に認知された行為。大目にみては」との意見が載り、ああ……と思う。
 その後「近隣住民や走行車両に迷惑をかけないことが最優先。少なくとも短時間で立ち去るべき」との反論が相次ぎ、ホッとする。
 子どもを取り巻く諸々の危険性は承知しているけど、クルマでの送迎は緊急避難的行為。安全に移動できるまちづくりを進めることが、いま大人が果たすべき責務です。
(50号・2008年1月)


 3年前に当地に越してきて驚いたのは、夜の暗さ。
 東京の道路にはくまなく設置されていた街灯が、こちらにはほとんどない。夜に自転車を走らせ、前照灯の明るさの心許ないことときたら。
 なのに無灯火で走る自転車がけっこういるのに、さらにびっくり。モラル以前に、なぜそんな無謀なことができるのか、ぼくには理解不能です。
(49号・2007年10月)


 小6の娘の仲良し4人組が、子どもだけで電車に乗って映画を観に行く、という企画を企てました。それはさぞ楽しみだろうと、いろいろ調べてやりました。
 ところが具体的になったところで「待った!」をかけた親御さんが登場。大人が誰か一緒に行くならいいけど、子どもだけではまかりならぬ、とのこと。
 で結局、娘ともう1人だけで行ったのですが、興味深いのは、待ったをかけたのはクルマ社会である地元育ちの親御さんたち。うちともう1人の子の家族は転入組で、日ごろから電車に乗り慣れている。
 日常の移動手段の違いが、子どもの行動に影響(制約)を与えることは、現実としてあるのかも。
(48号・2007年7月)


 集団行動が苦手な子どもがいる。
 ある子は、登校班の集合時間に遅れがち。班が先に出発することもしばしば。ある朝、1人で登校していたその子が、クルマと接触して軽傷を負った。
 別の子は歩くのが遅く、前の子との間隔がひどく空いてしまう。見かねて班長が手を引っ張って歩くと、その子は嫌がって大泣きした。
 どちらのケースでも、班長は学校で叱責を受けたという。
 ……なぜ集団登校するのか? 通学路に危険があるから。どんな危険が? 交通事故、犯罪者との遭遇。……大人が築いてきた社会の陰部じゃないか。
 それがなければ、自由登校ができる。時間の流れが他の子と異なる子も、足が遅い子も、班長も、朝から嫌な思いをすることがない。それなのに!
(47号・2007年4月)


 一時クルマなし生活をしていた知人がいます。
 以前飲んだときに、「クルマがあると、何だかメンドクサイんだよね」と彼がつぶやき、そうそう、そうだよね、と相づちしました。
 この感覚、理解づらいかもしれませんが、庭に置くには巨大で、維持するのに手間とお金がかかり、神経を注ぎ大きなリスクを背負いながら使う道具は、他にありません。
 知人は今でこそ軽自動車を所有しているものの、片道25km(!)の通勤には自転車を使っています。
(46号・2007年1月)


 隣町の雑木林でキャンプ。自転車で行くつもりが、荷物を積んだら荷台が壊れ、電車と徒歩で行くことに。キャリアを引っ張りながら、駅から1時間ちょいの道のりを歩く。
 目的地では、焚き火を囲んで酒を飲み、炭焼きを手伝う。翌日は木陰で読書。ため池で釣り。夕立のあとの虹が見事だった。こういうおまけが嬉しい。
(45号・2006年10月)


 若い友だちが増えてきました。
 自転車の手入れをしていると、たまに近所の小6の男の子がやってきて、自転車談義に花が咲きます。キャンプ場では、仲間の息子(小3)と深夜まで、焚き火を囲んでマンガのことやら話しました。
 “子どもに興味を持たれる、ちょっと変わったおじさん”を目指すぼくには、嬉しいことです。
(44号・2006年7月)


 たとえば幼稚園児くらいの子どもたちが、集団で自転車を走らせている様は、微笑ましくもある一方で、「お前らもっと駆けずり回って遊べよ」とも思います。曲がり角からの飛び出しなど、見ていてハラハラすることも。小学生の高学年ともなると、歩いたり走るのをおっくうがっている気配も漂っています。
 とはいえ自転車には、自分の力でどこへでも行けるという解放感と魅力がある。自分が小学生だったころは、そのこと自体が嬉しくて、毎日のように自転車に乗って遊びに行きました。
 今の子どもらも同じ気持ちだとしたら、文句を言うのは間違いだよな……。なんてことを考えながら、娘が以前使っていた幼児車を、下の息子用にお手入れしているこのごろです。
(43号・2006年4月)


 公共交通の足が乏しい場所での集まりに、子どもを連れて参加するために、レンタカーを借りました。
 子どもらは焚き火をしたり、竹とんぼづくりをしたりと、日頃はできないことをして楽しそう。そんな様子を見てぼくも満悦していたら、片づけが遅れて日が暮れるころに帰るハメに。
 帰途の幹線道路はやや渋滞気味。いくぶん焦りながら、記憶とカーナビを頼りに脇道へ。街頭が少なく道幅も狭い通りを、前後のクルマに合わせて速度超過気味で走行している自分に気づき、情けなくなりました。
 日頃、運転手のモラルを問いながら、自分のやっていることは……。まずは「隗より始めよ」。心します。
(42号・2006年1月)


 友人からもらったマウンテンバイクを通勤に使っていました。マメに手入れはしていたものの、年代物ゆえにあちこちにガタがきています。先日はついに、変速レバーが壊れました。
 ぼちぼち引退かと思っていたので、これを機に新車購入を決意。どうせならいいものをと、専門店で相談して、ぼくにとっては思い切った値段のクロスバイクを注文しました。
 そして納車。いやはや、いい自転車は実に乗りやすい。それまで気になっていた路面のわずかな凸凹も、歩道の段差も難なくやり過ごし、ギヤチェンジをしても違和感がなく、スイスイと快適に走ってくれます。こいつならどこまでも乗っていけるぞ、という気分です。
 季節はまさに秋本番。雑木林脇の道ばたには柿や栗の実が落ちていて、畑の畦ではヒガンバナが真っ赤な花を咲かせています。今朝はキンモクセイの香りが鼻をかすめました。秋色の風に包まれながら、気持ちのいい通勤をしています。
(41号・2005年10月)


 雨の日に国道を自転車で走る。路面工事箇所で路肩がなくなり、迂回路の歩道に入る。砂利を敷いただけで凸凹もひどく、ぬかるみや大きな水たまりも。車道部分はきれいに仮舗装されているのに、この差はなんだ、と土木事務所に電話をかけた。
 電話口に出た担当者は恐縮しながら、「現場に連絡する」と。けれど、「あとわずかで工事は終わるから、それまでご容赦願います」ともいう。現地に来て、水たまりに往生する歩行者や、砂利にハンドルをとられる自転車を見ても、同じことを言えるか……と思うが、口にはしない。大がかりな工事だけに、スケジュールや作業内容(歩道の迂回路の設置状況)は幾重もの決済を経て細かく決まっているはず。彼にはそれを修正する権限は、おそらくないだろう。
 クルマの走行にばかり目を向け、歩行者や自転車の置かれる環境にはあまり関心がないのが、このあたりの道路行政だ。そういう組織の中で、彼の良心がぼくの苦情を受け止めて、以降の工事では改善してくれることを祈りつつ、「くれぐれも改善をよろしく」と言って電話を切った。
(40号・2005年7月、一部加筆)


 引っ越し先の土地探しをしていたころ、とあるまちをクルマで走って下見しました。
 けっこう有力な候補地でしたが、実際に行ってみると、どうも印象がよくない。商店街の寂れ具合(活気のなさ)という要因のほかにも、何となく違和感を感じました。
 なぜなのか、その時はわからなかったけれど、自転車でそのまちを再訪したときに、わかりました。市街地の道路が狭く、ロクに歩道もなかったのです。まさに家の玄関前、商店の軒先をクルマが走り抜ける、といった感じ。
 古い街並みのまま、なし崩しにクルマを受け入れた結果なのでしょう。これではおっかなくて、「住みたい」と思えません。
 クルマに乗っていると見えないものが、たくさんあります。
(39号・2005年4月)


 年末に、関東地方にしては珍しく、積もるほどの雪が降りました(といっても数センチ程度)。空き地や畑がみるみる白くなっていく様を、飽きずに眺めていました。
 やがて小降りになったので、板きれを引っ張り出してきて、うちの前の道路の雪かきです。ひとしきりやって、きれいになったところで周囲を見回したら、ほかに雪かきをしているお宅はありません。凍ってしまうとやっかいなのに、と思ったら、翌日は晴天。案の定、朝の冷え込みが厳しく、路面はガチガチ。その凍った雪を、クルマがバリバリ踏み鳴らしながら走ります。近所の子どもらは雪に喜んで、そこら中を走り回る。う〜ん、危ない。見るからに危険。
 ご近所の皆さんはいつもクルマで移動しているから、氷った路面で歩行者や自転車がどれほど怖い思いをするかを知らないのかも、と、ふと思う。
 スーパーに行けば、日当たりが良くすっかり雪も解けた駐車場とは裏腹に、自転車置き場は雪山の向こう側。店員さんに「雪かきしてよ」と言っても、年末の忙しさでとりつくシマなし。
 子どもらと一緒に雪だるまを作りながら、近ごろの大人ときたら……と腹立たしさが湧いてきて。
(38号・2005年1月)


 隣町の博物館で、おもしろそうな企画をやっていたので、家族揃って出かけました。ただそこは、近くに電車の駅はなく、バスの便も極端に悪い。うちから自転車で行くにはムリがある。それでレンタカーを借りました。
 博物館まで約30分。往復と寄り道を足しても、乗っていたのはせいぜい2時間。24時間借りたうちの22時間は、クルマは駐車場でお休みです。……どうも腑に落ちません。
(37号・2004年10月)


 この春から、クルマ中心社会で生活しています。新学期早々、娘が通う小学校の授業参観に行ったところ、保護者のクルマが校庭に続々と入ってきて、しまいには巨大な駐車場となったのにビックリ!
 その後、「校庭の排水設備に負担をかけないため」を理由に、学校行事でのクルマの自粛要請が出されました。学校側でも、この問題には頭を悩ませているそうです。
 ちなみに運動会のときは、近所のスーパーが駐車場の無断使用を黙認するとか…。
(36号・2004年7月)


 まもなく東京を離れ、近県ののどかな住宅地に引っ越しします。
 最寄り駅までは近いけれども、電車は1時間に2、3本。商店街はないので、買い物は国道沿いのスーパーへ。クルマは当然一家に2台、という土地柄です。
 徒歩圏内にコンビニや商店街がある生活に慣れたぼくたち家族ですが、なにはともあれ当面は、自転車中心のクルマなし生活を続けるつもりです。
(35号・2004年3月)


 自衛隊をイラクに派兵する、と、ついに閣議決定がされました(12月9日)。国会での審議はせず、事後報告だそうです。手続きの上では、あとは政府の腹づもりひとつで、いつでも派兵できることに…。
 戦闘が終わっていない地域に、武器を持った兵士が出向く。どう解釈したって、これは「参戦」です。武力を永久に放棄したハズの国が、どうしてそんなことできるのか。自衛隊員が殺される可能性も、交戦してイラク国民を殺す可能性もある。小泉首相は人の命をどう思っているのか。
 毎年万に上る数の死者が出る“交通戦争”に対して、ロクに対策も立てず、放置している人命軽視の国とはいえ、あまりにも愚かな決定。暗澹たる思いです。とても悔しい。
(34号・2003年12月)


 エンジンの回転数が高ければ強く、低ければ弱く、車内に向けて雑音電波を発する。携帯電話を使いたければ、停車するか、せめて徐行しなければならない。
 そういう機能を、今すぐにでもクルマに持たせてほしい。
 携帯で話しながら運転しているたわけ者を見かけるたびに、ヒヤヒヤ、ムカムカします。体に悪いです。
(33号・2003年9月)


 梅雨です。うっとうしいです。でも、キャンプに行きました。今回は娘と、娘の仲良しの子とそのご両親というメンバー。東京の山のほう、奥多摩というところまで電車で行き、駅から徒歩5分ほどのキャンプ場のバンガローに泊まりました。
 クルマやバイクなど、エンジン付きの乗り物でキャンプに行ってた時期が長いのですが、昨年から、電車で行く楽しさに目覚めました。往復の車中、子どもは子どもどうしではしゃぎ、それを見るもよし、文庫本を読むもよし、居眠りするもよし。ぼくにとっては気楽でいいです。
 電車代が結構かかるのと、乗り継ぎが面倒なのが難点ですが。
(32号・2003年7月)


 ぼくは喫煙者ですが、分煙推進派。歩きタバコ禁止条例もやむを得ないと考えます。
 「マナーの問題だ」ともいいますが、そもそも多くの喫煙者はマナー以前に、知るべきことを知らなすぎるし、知ろうとしない。そういう態度だから反感を買うんです。
 多くのクルマ利用者も…ね。
(31号・2003年3月)


 ぼくが子どものころからずっと、実家には自家用車がありました。父が通勤に使うためのもので、その父の休みはウィークデー。つまり、ぼくら子どもたちは、クルマの“恩恵”をあまり受けてなく、移動はもっぱら自転車か電車という生活をしてきました。
 それがアタリマエだったからでしょう、現在、クルマなし子育てにそれほど苦労を覚えません。
 ちなみに細君は、幼いころから車に酔うタチだったとか(ぼくもそう)。それぞれが育ってきた環境が、いまの生活に大きな影響を与えています。
(30号・2002年12月)


 雨の中を出歩くのに、それほど苦痛を感じません。ポンチョを羽織ってしまえば、自転車も歩きも大丈夫。バイクで走っているときだって、少々の雨なら濡れていくし、カッパを着れば万全です。
 ポンチョやカッパが肌にべとつくとか、靴の中が湿ってくるとか、気になることもありますが、それも馴染んでしまうまで。やがてどうでもよくなっちゃうんです。
 でもぼくの細君は、雨の日に外に出るのを嫌がります。出かける予定だった休日も、雨天だったら家の中。「これくらいのことで…」と思っても、家庭不和の恐れを抱えてまで出かける気にはなれません。
 こういうときですね、クルマがあればなぁ、と思うのは。
 先日、2人目の子どもが生まれました。またベビーカー連れの生活が始まります。雨の日の外出を考えると、頭が痛いです。
(29日・2002年9月)


 このところうちの近所で、ちょっとした広さの畑や駐車場をつぶして、こぢんまりした住宅を数戸とか10戸建てるケースが目立ちます。
 どの家も敷地に余裕がなく、玄関前にクルマを停めると、スマートな人でないと家に入れないといった感じ。あんまりこういう家に住みたいとは思いませんが、ただうらやましいのは、公道からそれぞれの家までアプローチが延びて、行き止まりになっていること。通り抜けてゆくクルマはなく、幼い子どもがいればきっと格好の遊び場になることでしょう。
 総会の活動報告で、ある方が「路地裏の復活」を提唱されました。このアイデア、案外と実現可能性が高いかも、と思った次第です。
(28号・2002年7月)


 お花見にちなんで、その1。近所にソメイヨシノが見事に咲き誇る都立公園があります。そこにくる花見客の違法駐車が、今年もうちの前に並ぶんだろうな…。
 その2。桜の花が素晴らしい並木道もあります。薄桃色のトンネルを散歩するは、この時期の楽しみです。
(27号・2002年3月)


 横断歩道に乗り上げて信号待ちしているクルマがあると、「ジャマだなぁ」と悪態をつきつつ、運転手をにらみつけてやります。
 あるとき、ぼくの悪態を耳にした運転手が「通れるじゃないかよ」と言い返してきて、口論に。そんなことがあったと細君に話したら、「何があるかわからないからやめて」と言われました。
 しばらくして、親子3人で自転車で外出したときのこと。年配のおじさんのクルマが横断歩道をふさいで停まっていました。ぼくが黙ってにらんで通り過ぎたら、後ろから「ジャマですよ!」と細君の大声が。
 「いい大人がそんなことをしてると頭にくる」とのこと。呆れるような、頼もしいような……。
(26号・2001年12月)


 キャンプを始めて十数年。キャンパーの道具が年々増えているように思います。
 でっかいテントにでっかいタープ、バーベキューコンロにテーブルにイスと、まるで欧州の長期滞在型キャンプのような装備。そんなに快適なキャンプをしたいかな……と、最小限の道具を持ち寄って過ごす我々キャンプ仲間は悪態をつくのでした。
 とはいえ、ぼくらはキャンプ道具こそ少ないものの、カヌーが何艇かあるので凄まじい量の荷物です。どちらもクルマが不可欠なのは同じです。他人の悪口はいえません。
(25号・2001年9月)


 そういえば携帯電話も、最初は自動車電話(死語)でした。
 スーツケースくらいのでっかい装置を車載して、「移動中でも通話OK」と得意がる連中がいたのが十数年前。移動電話やカーステレオ、クーラーに小型テレビと、クルマの中はどんどん便利で快適になりました。
 でも肝心な、運転技術や注意義務はいったいどこに…。
(24号・2001年7月)


 細い夜道を自転車で走っていたら(ライトもつけて)、左手の路地からタクシーが顔を出しました。
 当然、一時停止をしてぼくが行き過ぎるのを待つと思ったらさにあらず、自転車は止まるものだと思いこんでいたのか、こちらに向かって右折してきました。直後に互いに急ブレーキ。
 相手は「危ないだろ!」と怒鳴った感じ。危ないのはどっちだ、オレが自転車でなくクルマだったら出てこないんだろうがバカヤロ、と啖呵を切れなかった自分が悔しい。
(23号・2001年3月)


 5歳の娘が補助輪なしの自転車に乗れるようになりました。これで親子での外出が楽になるぞ……と思いつつ、やっぱりまだおっかないので、彼女は自転車ぼくは歩きで、歩・車分離がなされた道路の歩道を通って公園に行っています。
 ところで、サザエさん家のタラちゃんは、1人で三輪車をこいで遊びに行ったりしています。
 作者の長谷川町子さんが住んでいたのは、ぼくの住まいからも近いところ。でもタラちゃんがのんきに三輪車をこげるような道なんか、いまこの辺にはありません。
(22号・2000年12月)


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