王様の椅子



 赤ン坊は王様である。なりは小さいのに存在は大きい。そして態度がデカい。腹が減れば泣いて、満腹になれば眠り、わがまま気ままにふるまって、家中の大人をふりまわす。大人は赤ン坊の機嫌をうかがい、顔色をうかがいながらお世話をする。
 やはり赤ン坊は王様である。


 この出だしを書いたのは、赤ン坊が生まれてすぐ、まだ退院してくる前だった。
 退院してうちにやってきて、ちょっとニュアンスが異なることに気がついた。赤ン坊が王様であることにまちがいはないが、むしろ大人のほうが積極的に王様に仕え、すすんで面倒をみようとするからだ。
 「まったくうちの王様ときたら世話がやけるけど、ま、しかたないか」という感じだ。

 〈子ども1人にバカ8人〉というそうだ(言わない?)。うちの大人はぼくと細君、義母の3人だけだが、やれ泣いたの、いい顔したの、ヘンな口してるのと、事あるごとに赤ン坊の顔をのぞきこんで声をかけあい、抱っこしたり頬をつついてみたりする。そして、たぶんどこの家庭でも必ず言うんだろうけど、「何考えてんのかね」とつぶやいて、しみじみと赤ン坊の顔を眺めるのだった。
 これはどうも、王様に接する召使いの態度とは違うような気がしている。


 という文章を書いてからさらに1週間、またまたニュアンスが変わった。
 生後1か月を迎えようとするこの頃は、ぼくたち親が寝ようとすると、夜泣きというのだろうか、ビービー泣くようになってきた。これにはまいった。ミルクを飲ませても、抱いてやっても、静かになるのはそのときだけで、床(とこ)に置くとまたむずかる。
 放っておくと、しばらく−−先日は1時間以上も−−泣きつづけ、そのうちに腹が減ってきて唇をふるわせて絶叫する。アンタなんでそんなに泣くの……と途方に暮れてしまう。
 申し訳なくもぼくが先に寝てしまった後も、細君はあやしつづけるのだった。

 ところが、話を聞いてみると、赤ン坊はそのぶん昼間に熟睡しているとか。なるほど休日の昼間などは、こっちは相手をしてほしいのに、いつまでも眠りつづけている。ぼくは寝顔をみて、昼間は遊んでやるから夜に寝ろ、と思わず言ってしまう。
 何日か前までは王様にたいしてかなり寛容な気持ちで接していたが、ここにきてやはり、うちに王様ときたら……もう! という気分になってきた。


 赤ン坊が王様であることになぜこだわるかというと、じつは、うちに王様の椅子があるからだ。

 ベビーラックといって、背もたれを倒せば簡易ベッドになり、背もたれを立ててテーブルをとりつければベビーチェアになり、さらに高さの調節もできるというスグレモノがある。背もたれのクッションのふちどりがヒラヒラしていて、それがなんとなく、エマニエル夫人の籐椅子か『ローマの休日』のヘプバーンのベッドかという雰囲気なのだ。
 それだけでない。大人が座る椅子がチャチに見えるくらいにデカいのだ。無意味で場違いな威圧感を感じるほどだ。それが王様の椅子と呼ばれるゆえんである。

 宅配便でベビーラックが届いたときは驚いた。梱包してある段ボール箱が想像以上に巨大なのだ。冷蔵庫の梱包用段ボールの次にデカいのはこの箱に違いない、と思うくらいの圧倒的な大きさだった。開封してまた驚いた。中身もデカい。売り場でみたときの印象よりもずっとデカい。

 だいたい、赤ン坊用品というのはどうして必要以上に大きいのだろう。
 ラックもそうだが、著しいのがベビーベッドだ。標準で幅120cm×奥行き70cm×高さ100cmくらい。大きめの浴槽をさらに拡大したくらいのサイズだ。そこに寝かせる赤ン坊なんか、生まれたときの身長が50cmくらいで肩幅は20センチかそんなもの、1歳でも身長70〜80cmというくらいだ。
 こんなにちっちゃい者を、拡大した浴槽に寝かせなければいけない理由が、ぼくにはどうしてもわからない。だいいち、そんなものをぼくらの部屋に置いたら、大人の布団を敷くスペースがなくなってしまう。

 というわけで、うちではベビーベッドは用意しなかった。汗とりマットを床(カーペット)の上に直接敷いて、そこに1日寝かせている。夜だけはマットレスも敷いてあげる。はじめのうちは踏みつけそうで怖かったが、1週間もしたらすっかり慣れた。思ったほど邪魔にならないうえに移動もラクなので、この選択は正しかった。
 でも、マットで寝ている赤ン坊には王様としての威厳が感じられないのが残念だ。


 赤ン坊はカブトムシである。
 カブトムシを仰向けにすると、6本の足が無秩序に宙を掻く。それと同じように、赤ン坊も仰向けになって手足を無意味に動かしている。

 両者が酷似しているのに気づいたのは、病院の保育室をながめているときだった。
 ガラス窓の向こうに赤ン坊がズラッと並んでいて、大半は寝ているものの、起きている赤ン坊たちはおのおのが勝手な動きをしていた。手で宙をつかもうとしたり、足を蹴ってみたり、泣きわめきながらえびぞる赤ン坊もいた。そのなかでいつも寝ていたのがぼくらの赤ン坊だった。
 うちに来てからは、当たり前だが起きているときもあって、1人にしておくと、おちつかなげにモゾモゾしている。腹が減ったり興奮してくると、かけてあるバスタオルを足で蹴散らし、両手はブンブンふりまわす。

 そんな様子をぼくはカブトムシと呼んでいるのだが、細君によると、カブトムシというよりカズダンスなのだそうだ。なるほど、カズが仰向けになってダンスをしたらうちの赤ン坊みたいなものだろう。これは意外な発見だった。
 なお、こころみに赤ン坊の隣におきあがりこぼしを置いてみると、振り回す腕が当たってポロンポロンと賑やかなのだが、当人は自分の腕とポロンポロンとの関係にまだ気づいていないようだ。


 赤ン坊を観察して気づいたことをいくつか。育児経験がある人は知っていることばかりかもしれないけど。

☆赤ン坊の額の上部、はえぎわのあたり(大泉門といって、頭蓋骨のすき間がある)は、脈拍にあわせてひくひく動いている。
☆赤ン坊は、新生児のうちはまばたきをしない。物憂げにまぶたを開け閉めするだけ。
☆同じく泣いても涙を流さない。ヨダレもたらさない。
☆鼻毛も生えてない。
☆赤ン坊は、頭のテッペンがかゆくても手が短いからかけない。同じく股ぐらもかけない。(じつは手が使えないから、どっちみちかくことはできない)
☆大人なら「大」の字になって寝るところを、赤ン坊は「古」の字になって寝ている。


 うちの王様、もとい女王様は、8月28日に生まれた。ぼくたちは彼女に「泉」という名をつけた。

(1995年10月、投稿誌『言わせろ』40号)

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