「そんなこと」を、気にしたい



 食品の添加物や化学物質汚染の話をしていると、「そんなことを気にしていたら、なにも食べられない」というフレーズを口にする人がよくいる。
 ぼくはこの意見には与(くみ)しない。なぜなら、たいていの場合、「気にしていたら食べられない」ならばどうするか、というところまで考えが及んでなく、「だから気にしないことにする」でおしまい、という展開になるからだ。

 食品添加物類が絶対悪だとまでは言わない。化学物質汚染も、少量であれば不安視しなくていいのかもしれない。けれども、いずれも体に悪いという報告がいくつも出されている。
 「すぐに死ぬわけではない」とも言われるが、悪影響が現れてきたときには、もう取り返しがつかないのだ。臆病なぼくは、「悪いという証拠がないから、大丈夫」ではなく、「悪くないという証拠が出るまで、心配だ」と考える。

 化学的に合成された添加物類が多く使われるようになって、まだせいぜい数十年。日常的に摂り続けていたらどうなるか。二世代、三世代先に影響が現れることはないか。そんなあらゆる可能性について、ある意味、壮大な人体実験を行っている最中なのだ。

 アトピー性皮膚炎、花粉症、化学物質過敏症など、かつてはなかったような病状が急激に増えた要因の一つに、食の問題があることは、充分に考えられる。むろん、問題は食にだけあるのではない。大気汚染、水の汚染、住環境の変化など、背景は複雑だ。
 そうした背景にある複雑な問題を、地道に解きほぐし、改善させていく努力を怠れば、状況が悪化することはあっても、よくなる可能性はない。
 気にしない、知らない、というのは、努力を放棄し、現状維持またはさらなる悪化を容認するのと同じことだ。少なくとも、知ろうとすることと、知ったら考えることが必要だ。

 ぼくはいま30歳代半ば。2児の父だ。子どもらの将来を考えて、現状から少しでもいい状態にしていくことが責務だと考えている。
 「気にしていたら、なにも食べられない」ではなく、「気にしなくてもよいものが、アタリマエに食べられる」ようにしたいと願っている。
 現状の不安や疑問に目をつぶり、知らないふりをするのは、後世に対する罪だ。
(2002年12月・投稿誌『言わせろ』81号・一部修正)

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