07/10/22 大洗キャンプ

 10月13・14日にキャンプをしました。

 ぼくと子ども2人、友人夫婦と子ども3人、共通の女友だちと子ども1人というメンバー。小学生4人、幼稚園2人と、子どもが多いこともあって、今回は設備の整ったキャンプ場をチョイス。茨城の大洗サンビーチキャンプ場を利用する。

 友人夫婦は所用で遅れてくるため、ぼくと女友だち&子どもらでまず大洗へ。晩飯は現地で手打ちうどんを予定していたけど、魚市場を物色して予定変更。中型のメスのサケ1尾とイカ2ハイを購入する。隣接の農産物産直所で野菜、コンビニでアルコール他を買ってキャンプ場へ。
 買ってきた弁当で昼飯。おもむろにテント設営。その後晩飯の準備もそっちのけで、みんなで砂浜へ行き、水遊びをしたり、流木を突き立てて巨大棒倒しをしたり。

 遅れて到着した友人夫婦と合流し、友人はテントの設営、我々は子どもらに野菜の皮むきやらなにやら手伝わせながら、晩飯の準備。ちと段取りが悪く、薄暗くなってからようやく晩飯。
 イカのワタ炒め、サケのチャンチャン焼き(中華鍋に半身のサケとキャベツ、シイタケ、ネギなどの野菜を敷き、ミソを乗せて蒸し焼きにしたもの)、筋子をほぐして醤油と酒に漬けたイクラ、ナスの塩もみ、茹で落花生、くりぬいてあんこを入れたカボチャの蒸し焼き、焼き芋、ニンニク焼き、けんちん汁、白飯、などなど。なんだかやたらとメニューが多い。
 子どもらは昼間、走り回って松ぼっくりを投げ合ったり、キャンプ場の砂の広場で穴掘りをしたりで、よほど体力を使ったのか、ものすごい食欲。8号半炊いた飯も夜の内にあらかたなくなっていた。

 腹が一段落してからは、焚き火を囲んでおしゃべり。「一番怖いこと」「好きなテレビ番組」「一番行ってみたい場所」など、適当にテーマを決めて、一言ずつ発言するというルール。大人が「そういえばあのときはさ…」と思い出話を持ち出すと、「大人は思い出があって楽しいかも知れないけど、子どもにはわからないからおもしろくない」と鋭い突っ込みが入ったり。
 秋も深まった海辺のキャンプ場は、割合とすいている。予約なしで行って、近くにキャンパーがいない区画を選んでこともあって、周囲に気を使うことなく焚き火することができた。(焚き火台を使用。直火は禁止)
 夜風が冷たく、持参した薪も尽きたため、日付が変わる前に寝る。

 翌朝は7時前に起床。日差しがなく寒い。まずお湯を沸かして、コーヒーを飲む。
 雑炊と焼き飯を主食とし、昨晩の残り物を暖め直したおかずで朝飯。子どもらは満腹したらさっさと散らばってしまい、しょうがなく大人が頑張って残り物を食べ尽くす。
 腹が膨れ、一服したところだが、チェックアウトが迫っているのですぐ片付け。あたふたバタバタと荷物をしまい、10時にはチェックアウト。近くの海水浴場へ移動。

 気温はそこそこあるものの、風がやや涼しい。そんななか子どもらは、水辺で穴掘りしたり、小魚を追ったり。いっそ水につかろうかと思案するヤツも。幼稚園のチビどもは、ままごとをしながら、なぜか砂浜を転げ回っていた。大人はシートを広げて、昼寝をしたり、本を読んで過ごす。

 遠くのほうで地引き網を引いているグループを発見。見物に行ったら「手を貸して」と言われ、飛び入り参加。小アジ、サヨリ、イナダ?などが揚がる。少しくらい分けてくれるかな……と期待したが、全部カゴに入れて持ち帰った。どこぞの会社の社員旅行グループで、揚がった魚でバーベキューをするのだとか。

 バターロールにハム、チーズ、ソーセージを挟んで昼飯。あとバナナと、生のキャベツをむしって、マヨネーズやコチュジャンを塗ってかじる。なんとも乱暴な昼飯。
 2時ころに引き上げて、帰途につく。

 10月ともなると、朝晩の冷え込みがラクじゃない。今回も焚き火を離れると寒いくらいで、それぞれ上着を羽織って過ごした。昼間の海風も、ちと体に堪えた。でもまぁ、いいリフレッシュでしたよ。焚き火にビールは最強コンビだ。

 それにしても、しっかり管理されたオートキャンプ場は、やっぱり苦手だ。今回はすいていたからまだしも、もっと暖かいころだと、キャンパーが多くて気も使ったことだろう。チェックアウト10時というのも、きついなぁ。
 次回はまた、夜はダラダラと焚き火をしながら夜更かしし、2日目もぐうたら過ごしながら、昼過ぎまでかけて片付けをする、といういつものパターンで過ごしたい、と思った。



07/10/17
 迷惑な仕事

10月5日:
 B5判4ページの会報の原稿(データ)が予告なく届く。別件が大詰めを迎えていたので、間に立っている印刷屋さんと校正出しの期日を交渉。「急ぎでと言われていて…」とのことで、やむなくその日の内に作業し、校正紙を宅急便で発送。

11日:
 “急ぎ”の仕事の校正が戻ってこない。印刷屋さんから他の用事で電話がかかってきた折りに状況を尋ねる。程なくしてファクスが届き、「他にもう1カ所、直しがあるかもしれないといっているけど…」と。“急ぎ”だからすぐ印刷できるようにと、直して版下用紙にプリントし、宅急便発送。

17日(今朝):
 仕事場に着くと、2ページ分のファクスが。前校正とは関係のない場所に、赤字が2箇所。けっきょくのところ、全然“急ぎ”じゃないじゃないか!

 一方的に急がせておいて、だらだらと校正を繰り返す。
 こういう仕事が、一番迷惑だ。モチベーション下がりまくり。
 「これでホントに終わりですかね」と、皮肉のひとつを言ってやりたいところだけど、同じく振り回されている印刷屋さんはこちらの味方。いつも恐縮してる。
 腹立ちのもって行き場がなく、お互いに愚痴るしかないんだよなぁ。あぁしんど。



07/10/12
 内藤×亀田戦を観た

 ボクシングの内藤大助×亀田大毅(次男)戦をテレビ観戦。
 すでに報道されているとおり、大毅のキャリア不足が露わになった試合。

 チャンピオン・内藤はうまく回り込みながら、トリッキーなパンチを大毅に合わせる。対する大毅は、「宇宙一のパンチ」(本人談)が全然出ない。経験豊かな内藤の動きに、なすすべなしといった具合。挙げ句にいらつき、最終ラウンドに内藤を抱えて投げつけるなどの反則を繰り返し、圧倒的な差で判定負けした。
 試合中にも、サミング(目つぶし)などの見えない反則を繰り返していたという。
 詰まるところ、まだまだチャンピオンの、いやそれ以前に世界タイトル戦チャレンジャーの、器じゃなかったのよ。キャリアの上でも、気持ちの上でも。

 そういう大毅を、亀田家第2のヒーローと持ち上げた、ボクシング業界とスポーツマスコミは、罪作りだね。

 報道によると、大毅は3兄弟の中でボクシングに懸ける思いが一番乏しく、親父に怒られながら泣く泣くやってきたそうだ。
 大毅がボクシングを続けるのなら、まず親離れ、兄離れをしなきゃだめだ。
 勘違いファミリーから脱して、裸一貫でやり直せ。強い相手と何度も対戦し、負けを含めて経験を積め。そして気持ちを鍛えろ。そうすれば、実力で世界王者を手にすることは不可能ではないだろう。
 資質はあると思う。堅いガードも、衰えない闘争心も、ぼくは買っている。

 気がかりは、大毅がこのまま潰れるんじゃないか、ということだ。周囲の過剰な期待が失望に変わり、無根拠に膨らんでいたプライドがはじけたいま、その挫折を乗り越えるだけの「強さ」を大毅がもっているかどうか。
 亀田家の横暴ぶりは嫌悪の対象だけど、1人の若者としての大毅の今後は、大きな目で見守ってやりたい気持ち。



07/09/20
 不快なTシャツ

 ショッピングモールをつらつらと歩き、カジュアルショップの店を覗いた。
 軽くパンクなデザインのものと、かわいらしいデザインのものとが混在している、ファミリー向けの入りやすいショップだ。

 店のわりあい目立つところに、ニコッと笑う緑色の豆が4つ並んでいるTシャツが飾ってあった。見ると、豆の腹に字が書いてある。
 読んで凍り付いた。

  シ ネバ イイ ノニ

 たまたま寄ってきた売り子さんに、「これ、シャレにならないよ」と言った。売り子さんは「そうなんですよねぇ」と、困っているのかいないのか、よくわからない曖昧な表情をしていた。

 こういうTシャツをデザインするデザイナー、制作にGOサインを出すメーカー、堂々と展示している店、どれもその神経が理解できない。



07/09/11
 やっと終わった

 大口取引先が使用OSとソフトを変更。それにともない、新しいソフトで定期物の作業を進めていた。
 それを昨日納品し、長い長い夏が終わった気分だ。

 8月は10日まで定期物の作業。11・12日の土日と、13日(月)はお休みし、14日からは別の取引先の作業をしながら、新環境のためのパソコンやソフトの手配。ショップの盆休みとパソコンの在庫切れが重なり苦労する。
 20日から、とりあえず手持ちのMacG4に新ソフトAdobe CS3をインストールし、InDesignで10月号の作業を開始。

 新しいフォーマットを整理してから、不慣れなソフト操作をしつつの作業。例月の1.5〜2倍の時間がかかる。
 でまた、とりあえずのマシンだから、動作ものろい。せっかく買った新マシン(iMacG5)は、セットアップしている時間がなく、箱に入ったまま鎮座。それが使えれば……と思うと、余計なストレスもたまる。

 やってもやっても数がこなせず、連日朝9時から夜11時過ぎまで働きずくめ。それをたっぷり3週間続け、ようやく納品までこぎ着けた。
 こんな働き方をしたのは、十数年ぶりだ。

 この仕事が一段落したら、まずはマッサージにいって疲れをとろう。髪を切りにもいきたいし、本屋にいくのもいいな。それとも仲間と飲みにいこうかな…などと、せっぱ詰まりながら考えていた。
 でも来月号が始まるまでに、iMacのセットアップはしなけりゃならないし、積み残していた別件の仕事も待っている。反省・改善のための打ち合わせもあるだろう。
 思ったほどのんびりしてもいられないが、ともあれ肩の荷が下りてホッとしている。

 あとはここ2、3日、「納品データに問題あり!」と、クレームの電話がこないことを祈るのみ、だ。



07/08/29
 出版社別か作家別か

 またまた書店話題。

 書店の文庫コーナーは、出版社ごとに並んでいるほうがいいか、作家名で並んでいる方がいいか、という大問題がある。

 以前はほぼすべての店が、といっていいくらい、出版社別に並んでいた。新潮社文庫は新潮社文庫でまとまっていて、別の棚に講談社文庫が…という具合に。
 近頃は、作家ごとにまとめて並んでいる書店も増えている。CDショップがアーティスト名で分類しているのと同じかたちだ。

 皆さんはどちらがいいと思われるだろうか?

 ぼくは出版社別を支持したい。
 新聞広告を見て「あの人の作品が○○文庫になったのか」と覚える。で書店に行く。ところがたいていの場合、肝心な作家名や書名を忘れていて、○○文庫の新刊、と記憶している。
 このとき、作家名で並んでいたら、もう探しようがないのだ。新刊コーナーにあればいいけど、なければお手上げ。
 ま、作家名を覚えればいいじゃないか、といわれればそれまでだけど。

 あと、時間があれば「なんか面白そうな本はないかな」と、棚をつらつらと眺めるのだけど、同じ出版社であえば、書名と著者名が同じ高さに揃っているから、ザーッと見てもわかりやすい。
 出版社が混在してると、目線があちこちにいってしまい集中できない。げんなりして平台だけ眺めることになってしまう。

 それと、△△文庫は文字がギチギチに詰まっていて読みづらいから敬遠したい、××文庫はどれも内容が薄いから探す価値がない、といった個人的な価値観もある。
 それらもごったに置かれていると、ちと辛い。

 という、きわめて個人的な理由で、出版社別を支持する。
 けど、作家別に利点があるのも承知している。
 まず目的買いのときは、探しやすい。あまり気にかけていなかった出版社から出ている作品と出会うケースも、けっこうある。
 そういう利点と両天秤にかけて、それでも出版社別に軍配を上げたいわけだ。

 ちなみに、近所に開設した図書館分室の絵本コーナーは、出版社別に並んでいる。これはこれで探しづらい。
 たとえば「ぐりとぐら」シリーズがどの出版社なのか、ふつうは気にしないでしょ?
 絵本はやはり、作家名か書名で並べてほしいものだ。
 それと、新刊本も作家別でないとダメだろうな。

 ぼくの意見は矛盾してますかね?



07/08/27
この夏はスイカをたくさん食べた

 家族が帰省中に発作的に食べたくなり、スーパーで買った大玉の4分の1切れを、庭で夕涼みしながら完食。
 実家に遊びにいったときに、父が家庭菜園で作ったものをおやつで食べた。
 で、土産でもらった中玉をうちでも食べた。
 ご近所さんに呼ばれて飲んだときに、大皿に盛ってあったものを数切れいただく。
 ご近所さんにもらった4分の1切れを、朝食のデザートで食べる。
 こどもを何とかレンジャーのスイカ割りイベントに連れて行って、ふるまわれたものをぼくがもらう。
 もう満腹。ふう。

 うちの連中があまりスイカを好まないため、例年は1シーズンに1、2回口にする程度だった。でも今年は、ずいぶん食べた。久々に夏の味覚をたっぷり口にし、夏らしい夏を過ごした気分。

 ご近所さんの話を聞くと、近ごろの子どもは、あまりスイカが好きでないようだ。青臭くて嫌い、種を取るのが面倒……というのが理由らしい。まぁうちの子どもらも同じだから、しょうがねぇなぁ、という感じなのだけど。

 子ども会の夏のミニイベントとして、スイカ割りという企画が出たそうだ。でもスイカを食べない子どもも多いということで、ヨーヨー釣りやかき氷なども一緒にやることになった。ずいぶん手間が増えてしまった……と、今年会長を務めている細君がぼやいていた。(そんな細君もスイカは好きでない)

 夏の食べ物といったらスイカ、スイカといえば夏。そんなシンプルな季節感は、遠く昔に去ってしまったのかも。



07/08/18
 書店のポップ

 どこかの書店の手書きのポップ(お勧めコメント)が有名になったからだろう、多くの書店でポップを見かけるようになった。
 けど、単に流行に乗っているだけで、販促グッズとしての効果を考慮しないケースに出会い、辟易することも増えている。

 仕事場の近くにある書店もそうだ。文庫本の特集コーナーに、たくさんの文庫が平積みされ、その周りに、これまた多くのポップが幟旗のように揺れている。
 ぼくは文庫の表紙が見たい。装丁と、書名と、著者名を見たい。なのに、それらのポップがじゃまをする。
 関心の薄い本のポップに興味はない。いちいち手でどかして、その向こう側にある本を見る。これが面倒でしょうがない。

 ポップを立てるなら、他の本を隠さないように、大きさや置く位置を考慮すべきだろう。
 いやそもそも、たくさん立てるのはどうなのか。ポップをその店のウリにするのなら構わない(店員こだわりの本ばかり集めたポップだらけの書店も存在する)。そうでなければ、絶対に勧めたい本に限り、力を込めて書くべきだろう。
 数が多ければ、注意は分散される。あれもこれもに目移りして、けっきょくどれも手にしない、なんてことになりかねない。それでは逆効果ではないか。

 ポップが流行するだいぶ前のこと、小さな書店のコミックコーナーで、一枚だけ「これはお勧めします」と書かれたポップを目にした。黒田硫黄という作家の『茄子』。興味を持ちながら買わなかったのだけど、いまだに気になる作品として、記憶に残っている。
 こんな具合に、目にした者の心をグーンと惹きつけるのが、書店ポップの本来の役割ではなかろうか。

 こう書くと語弊があるかもしれないけど、売れている本、店員お勧めの本を選びたい人にとっては、ポップが多いのはありがたいのかも、と思う。
 としたら、ぼくはその店、その売り場がターゲットとする客層に合ってないわけだ。
 なら別の店に行けばよさそうなものだが、あいにくチョイスできるような書店はほかにない。
 半ばあきらめの気持ちを抱きつつ、昨日もポップをどかしてきたのだった。


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