08/04/23 ありえないって

 いま読みかけの本。

  「ライオンの飼い方 キリンとの暮らし方」
    非日常研究会著、新潮OH!文庫

 ライオン、ゾウ、キリン、ゴリラ、コビトカバ、ナマケモノ、イルカ…といった動物たちを、ワンルームマンションで飼うためのノウハウをまとめた手引き書。

 なぜにこんなナンセンスな本に惹かれるのか、自分でもわからない。



08/04/17 書店員のホンネ


 書店をテーマにしたフリーペーパー「LOVE書店!」というものを見つけた。
行きつけの書店にあったのをもらってきたのだけど、これが面白い。

 著名人への読書インタビューは定番として、書店員に訊く売り場作りの秘訣とか、離島の書店を訪ねるとか、目の付け所が変わっている。書店員の生の声がたくさん掲載されていて、またそれが飾り気なしでとてもいい。
 発行元は、「本の雑誌社内 本屋大賞実行委員会」。なるほどテーマが「本」でなく「本屋」なわけだ。

 ウェブサイトもあったので、覗いてみた。過去の特集やコラムの一部を読むことが出来る。女優の河合美智子(以前はけっこうファンでした)と読書傾向が近いことがわかり、不思議な感じがした。

 リンクをたどって「WEB本の雑誌」を覗き、そこで面白いコメントを見つけた。書店ポップに力を入れる2人の書店員の対談「POP王とPOP姫の本屋大賞対決!」(2005.2)のなかにあった。
 ポップに出版社名を入れるかどうか、という件について。

○「ところで出版社名は?」
●「それは王様としてゆずれない部分なんですが、出版社名はいれません」
○「あっ、一緒です。わかります、その気持ち」
●「出版社なんて関係ないんです。どこから出版されたって、自分が売りたい本、自分がお薦めしたい本は本なんです」
○「出版社なんてどこでも良いですよね」

 思わず爆笑。ホンネ出し過ぎ。丸出しだ。
 大手出版社がスポンサーだったら絶対に載らないコメントを、堂々と載せるあたりが、さすが本の雑誌。
 「LOVE書店!」と「WEB本の雑誌」を、すかさずお気に入りに登録。

LOVE書店! http://www.hontai.jp/love.html
WEB本の雑誌 http://www.webdokusho.com/



08/04/09 ヒップホップとケータイ小説とプロレスコラム


 ジャパニーズ・ヒップホップというのか、ラップ調に語るように歌う曲が、やたらと流行っている。FMから飽きるくらい流れてくる。
 歌詞を聴いてみると、どれも似たり寄ったり。「君に会えて本当によかった」「100年たっても愛してる」ってな感じの、ひねりも工夫もないベタベタな言葉の羅列。あまりにストレートすぎて、背筋がゾクゾクしてくる。

 ケータイ小説が売れている。読んだことがなく、聞きかじりの知識なのだけど、恋人に振られて自殺未遂やら、レイプ、ドラッグ、そしてどん底で愛を知る、といったものらしい。
 ここでもまた、直截的な出来事の羅列が、チープなストーリーを紡いでいるのだろう。

 音楽や文学において、「わかりやすさ」が大きなポイントになっているように感じる。
 飾りのない素直な表現、といえば聞こえはいい。でもそれはちょっとちがうのでは、と思う。

 煩悶、苦悩、逡巡といった複雑な感情。
 行間や歌詞の間に滲み出るニュアンス。
 鍛え抜かれた言葉によるイメージの増幅。
 そういった、読み手や聞き手の想像力、共感に委ねられる表現が、衰えているのではないか、と思うのだ。

 些末な話題ではあるけど、「週刊プロレス」という雑誌に、3人のレスラーによるコラムバトルがある。その3つを毎週投票によって順位を決め、人気がないコラムは打ち切りとなり別の執筆者に変わる、という企画だ。
 ここに文章がうまいことで知られるレスラーが書いていた。きちんと構成を考え、うまくまとまっていると、読むたびに感心していた。が、この人が真っ先に打ち切りとなった。
 一番人気は、日常の出来事を、ひらめきと連想で書きつづるブログ的なコラム。これはこれで面白いのだけど、文章としての深みはない。

 こんなところにも、ややこしさよりわかりやすさ、面倒な文章よりも感覚的な文章、といった世相が表れているように思った次第。



08/04/07 小学生から中学生へ


 先週、娘が仲良しグループと一緒に、東京・浅草の遊園地「花やしき」に遊びに行った。小学校の卒業記念に、子どもだけでどこかに行こうと、話し合って決めたことだ。(もちろん、それぞれの親も了承済み)
 電車で1時間もかからない場所だけど、小学6年生どうしで遊びに行くのは、ちょっとした冒険だったことだろう。

 自分のサイフからお金を出して切符を買う。電車の中でいちいちじゃれ合う。花やしきの入場料とパスポート代を払う。アトラクションに乗って大騒ぎし、お化け屋敷に入るの入らないのとまた大騒ぎ。昼にもんじゃ焼き屋に入って、店のおばちゃんに「こうやるのよ」とか言われながら、もんじゃを焼いて食べる。浅草の露天で団子を買って食べる。でまた切符を買って帰ってくる。
 そんな行動の一つ一つが、小学生生活最後の思い出になったはずだ。

 明日は中学校の入学式。
 運動部に入りたいと希望するものの、朝練とか練習がキツイ部はイヤだとも言う。熱心なんだか軟弱なんだか、どうもよくわからない。
 何にしても、充実した中学校生活を過ごせよと願うのみ。



08/03/26 まずい


 今月は1日も書かずに終わってしまうところだった。

 年が明けてからこっち、3月末に発行する大学・学会関係の仕事と定期仕事、それに確定申告も加わって、余裕なく過ごしていた。
 先週には鼻風邪に罹ったりもして、まだ空咳が続くさえない日々が続く。

 日記に書くこと、書きたいこともあったはずなのに、目の前の雑事に追われるうちに忘れてしまうことの繰り返し。

 娘は4月から中学生。息子は幼稚園の年長組に上がる。
 友だちからは、引っ越しをしたと連絡が届く。
 桜の花もほころびはじめ、新しい日常の胎動を感じるこのごろ。



08/02/20 ケータイ依存症?蔓延


 久しぶりに山手線に乗った。隣の席にはスーツにコートを羽織った初老のおじさんが座り、せわしなくケータイを操作していた。
 そのうちに着信音が鳴り、その人は躊躇なく会話を始めた。「ええ、いま山手線で移動中です」とか話してる。だから後ほど、といっていったん切るような、周囲に対する配慮は最後までしなかった。

 いい年したオッさんが……と不快だったが、都内在住の知人によると、そういうケースで注意されて逆ギレする大人もいるという。
 「急ぎの用件だから、しょうがないだろう」と言い張るのだとか。
 マナーやモラルよりも、個人的事情が最優先なのだな。

 ケータイで会話しながら運転しているドライバーも、いまだに見かける。
 今朝はケータイにくわえタバコの若い勤め人風を見かけた。
 タバコの灰を落とすときに、どうするつもりなんだ?

 きっと、自分が無意識に行っている行動の意味を理解していないのだろう。
 そういうヤツが、生身の人間にぶつければ命を殺める凶器となりうるクルマを運転していることに、背筋が寒くなる。

 ケータイの普及によって、世の中がおかしくなっていく速度が、どんどん加速しているように感じてならない。



08/02/13 映画はいいね


 近くのシネコンで『ローマの休日』のリバイバル上映をしていたので、娘と観に行った。
 やっぱり昔の名作はいいね。モノクローム画面の雰囲気、フィルムの質感、時代がかった音楽、人物の表情やしぐさ、小物の存在感。特撮やデジタル編集など存在しない時代に大事にされていた、そういったもろもろが心地よい。

 以前はシネコンという形態を嫌悪していた。ハリウッドの大作や日本の商業映画ばかりを上映して客を集め、古き良き単館を駆逐していく悪いヤツ、というイメージをもっていた。
 けど、映画を観るためには入館料より高い電車代がかかる場所に引っ越して、飢餓感が募っているころに近くにシネコンができて、そこでたまに二番館的に旧作の再上映をする(しかもワンコイン=500円!)ことがわかって、考えを改めた。

 何はともあれ、映画館はあったほうが嬉しい。どういう映画であれ、観られる場所が身近にあるのはありがたい。
 そもそも単館や二番館、名画座の存続が厳しい時代には、シネコンが最後の砦。おまけ的な旧作の再上映など、資本に余裕があるからできる芸当だろう。
 悪貨が良貨を駆逐するわけじゃなく、それが時代の要請なんだ……そう思うようになった。

 ところで娘はまもなく中学生。近ごろは友だち同士で映画館に行くこともある。いつまでぼくにつきあってくれるのかと、ちょっと気がかり。
 これから先も、たまにはいっしょに映画に行って、そのあと飯を食べるかコーヒーを飲みながら、感想を語りあえるようになれれば嬉しいのだけど。
 まぁ、淡い期待でしょうね。



08/02/07 隣のうちにも


 うちのお隣さんとお向かいさんのお宅に、例の冷凍餃子があったそうだ。一軒はスーパーで買って、もう一軒は生協から買ったとか。
 別の知り合いは、ニュースになるちょうど前夜に、コンビニで買って食べたそう。
 事件そのものよりも、同じ製品がこれほど多く流通していることに驚いた。

 FMの街頭インタビューで、この件についてコメントを求めていた。
 そのひとつに「中国産は不安。国産品を食べる」というものがあった。
 コメントした人は、精肉業者が廃棄品を挽肉に混ぜていたことや、消費期限切れの原材料を再利用して営業停止や廃業に追い込まれた企業や店が相次いだことは、もう忘れているのだろうか。

 この期に及んでも、「中国産は不安、国産は安心」などと、イメージで認識していることがバカバカしい。

**********
今回の中国餃子の件に思うことは、中国人も恥ずかしいがそれ以上に日本人の方が恥ずかしいと思わなければならないということである。
生きて行くための「食い物を作る」という人間にとって基本的なことを他の国にまかせておいて、それに何が入っていたかにが入っていたと騒ぐのは自分の尻を他人に拭いてもらって汚れていると騒ぐに等しい。他の国の人間が利益を考えたとしても日本人の健康やお尻のことなんか考えるわけがないのである。他国人が作ったものを食う限りにおいて日本人はえらそうなことは何も言えないのだ。
**********

 以上は写真家・藤原新也氏のブログ(08/2/4)からの引用だ。
 物言いは辛辣ながら、ぼくも同意見。というか、そんな具合になっているのが現状だ。

 なにしろ、狂牛病感染牛の混入の可能性も指摘されているのに、アメリカ産牛肉が政治判断で輸入され、消費しているのが実態。

 自分の胃袋を、顔も見えない人たちに任せるってことは、つまりはこういうリスクを抱えることだ。



08/01/25 ギプスピンク・その後


 そういえば、のぞみ戦隊ギプスピンクのその後ですが、16日にギプスとれました。
 とった当初は、曲げた状態で固定されていたヒジを「伸ばすと痛い」と訴えてましたが、10日経ったいまは気にしていない様子です。

 ギプスを専用カッターで切断するとき、うちのヤツはあろうことか、うひゃひゃと笑っていたそうです。
 本人曰く、カッターの振動で「くすぐったい」のだとか…。



08/01/25 久しぶりの飲み会が


 外で飲む機会がめっきり減った。
 この年末年始は、忘年会も新年会もお誘いゼロ。
 いや、1つだけあったけど、急な報せで都合がつかずに断ったんだ。

 先日、取引先の担当者から「打ち合わせを」と言われたので、「たまにはどうです?」ってことで、ついでに飲む約束をする。
 それとは別に、先週末にご近所さんと立ち話して、こんど近所の旦那衆で飲もうってことに。
 どうしたことか、その日程が、今晩と明晩の連続になってしまった。

 飲み会は好きだし、誘われると嬉しいのだけど、長っ尻必至の飲み会が2晩続けてというのも、ちとキツイお年頃。
 日曜日の家族からの視線を想像すると、シンドイです。



08/01/08 新隊員登場


 のぞみ戦隊ギプスブルー(のぞみブルー改め)のその後。

 骨折から3週間。昨日病院に行き診てもらったものの、「もうちょっと」とかで、今しばらくギプス生活が続く。
 5歳児で3週間なら、たいていは治っているものだが、と医者は首をひねったそう。偏食がひどくわけではなく、外遊びもしているのに、いったいなぜ?

 診断中に細君が、つけっぱなしで汗臭くて……とぼやいたら、「それなら取り替えましょう」ということに。
 看護婦さんが「またブルーのにする?」と尋ねたら、息子はすかさず「ピンクがいい!」
 で、ギプスピンクに変身した。

 ギプスを外すには専用カッターを使うのだけど、たいていの子どもはそのカッター音を怖がって泣くそうだ。
 なのにうちのヤツは、ニヤニヤしながらその様子をみていたという。そして自ら選んだピンクのギプスを、嬉しそうに巻いてもらって……。
 親のため息をよそに、面白がっているとしかいいようがない。

 腕が効かない以外は元気そのもの。幼稚園は登園してもいいといってくれた。
というわけで、ギプスピンクは今朝から、幼稚園での活動を開始したのであった。



07/12/29 でしたでしょうか?


 数年前だったろうか、TFMの番組のエンディングで、DJシンジが「今日のゲストは、いかがだったでしょうか」と言ったのを初めて耳にしたときから、その言い回しが気になっていた。

  だったでしょうか

 とはなんだ? 助動詞が重複してるじゃないか。
 丁寧な言い方してみれば、

  でしたでしょうか

 となる。明らかにおかしいだろ。
 この場合は「いかがでしたか」でいいんだ。語りの番組を持っているなら、言葉遣いに神経を使えってんだ。

 そんな思いとは裏腹に、「だったでしょうか」を使うDJがじわじわと増えてきた。困ったもんだのぅと、じいさんのように苦々しく思っていたら、いまTFMの番組で、今井美樹が言ったんですわ。
 「いかがでしたでしょうか」と。

 抵抗なくこういう言い回しができるってことは、当人は気にしてなく、その周囲にも指摘する者がいないわけで、つまり相応に市民権を得ていると認めるしかないのだろう。

 日本語の乱れが云々というつもりはないけど、「でしたでしょうか」やら「させていただきたいと思います」やら、丁寧そうな言葉を過剰に積み重ねるくどい言い方は、とても気になる。
 文脈や話の展開に配慮していれば、シンプルな尊敬表現で充分に、丁寧でやわらかい話ができるはずだ。そういった配慮をないがしろにして、過剰な言い回しのでフォローしている(つもりでいる)ような気がしてならない。



07/12/27 肩がラク


 昨日と一昨日と続けて、少しばかり走ったら、今朝は肩がとてもラク。
 いつもだと、背中の左右の肩胛骨の間のあたりが、筋肉痛みたいな具合に鈍く痛むのだけど、それがない。

 「運動不足解消になるし、腕を振ることで、肩のコリもほぐれる」と、ジョギングを勧めた整体師の言葉は正しかった(ぼくの場合は)。
 健康診断でコレステロール値に黄色信号が灯ったこの頃。ジョギングを日課にしようと心した次第です。



07/12/18 自由がいい


 朝にテレビを見ていた息子が、なんの脈絡もなく、「犬よりも猫がいいな」といった。
 どうして、と聞いたら、「猫は自由だから」だと。
 5歳児がいったいどこでそんな発想を仕入れてきたのか、ちとびっくり。

 そんな息子は、おとといケガをしている。
 娘によると、側転しようとして滑ったらしく、派手に転んだという。痛い痛いとひどく泣くが、指を曲げ伸ばしできるし、腫れもない。
 骨折とは思えないが、痛がり方がいつもと違うので、念のため救急受け入れをしている整形外科に連れて行った。途中、タクシーの車中でうたた寝を始め、こりゃ様子を見てもよかったかな、と思う。

 病院でレントゲン写真を見た医師は一言、「骨折ですね」。
 へっ? てな感じ。たしかに素人が見ても一目でわかるヒビが入っている。
 骨がずれたり砕けたりしてないため、神経には影響がない。だから指も動かせるし、痛みも比較的軽いのだとか。

 添え木を当てて包帯を巻かれている息子を見ながら、思わず笑いがこみ上げてきた。はしゃいで転んで骨を折るなんて、絵に描いたようなワンパク坊主じゃないか、と。
 息子よ、あんたはすでに自由人だ。

 でもまぁ、腕を固定され不自由を覚えたからこそ、とりあえず体の自由がきくことのありがたみを知ったのかも……なんてこたぁないだろうな。



07/12/11 新聞の文字が大きくなったが…


 我が家で購読している毎日新聞の文字が、今朝から一回り大きくなった。これまでよりも14%(たぶん面積)アップだとか。
 1行あたりの文字数は、これまでの11字から10字に減少。でもレイアウトの工夫などで、全体の情報量は変えないという。

 では、どうやって帳尻を合わせたのかが気になる。以前の紙面と見比べてみて、わかったのは、「余白」が減っていることだ。

 隣の行との間の空間(行間)、紙面上部の「家庭欄」などと書かれているスペース、見出しと本文との間、などが、従来よりかなり縮小されたようだ。
 細かいことでは、本文スペースと周囲の余白を区切っていたページの左右の区切り線がなくなり、そこまで文字の配置が広がっていた。

 大ざっぱな印象としては、文章自体は読みやすくなったが、文字だらけで窮屈な紙面になった、という感じ。

 これは、仕事でも毎度苦労する部分でもある。
 ことに年配者が多い刷り物だと、とにかく「文字を大きく、読みやすく」という注文が多い。
 けど、文字が大きければ読みやすいかといえば、必ずしもそうでもない。行と行の間に適度な空白がなければ、文章の流れる方向がつかみにくく、読み疲れてしまう。
 だいいち、パッと見たときに文字がぎゅうぎゅうに詰まっていたら、中身を読もうという意欲が衰える。適度な空白や、内容を明確に分ける区切り線などは、読みやすさ確保のための必要アイテムだ。

 ただ、読者にとっては、案外そんなの関係ないかも……という気もしている。

 たとえばケータイメール。ここには行間などほとんどなく、画面の周囲に余白などない。頻繁に上下スクロールしながら(紙媒体でいえば「ページをめくりながら」)、かなりのボリュームの文章を読むようになっている。
 ウェブサイトもそう。余白のあるページだと、むしろスカスカで内容が薄い印象さえ受ける。
 そういう「密度の濃い」画面を見慣れている人にとっては、余白があるとかえって落ち着かないのかも。

 やや脱線するが、最近久しぶりに「ウィークリーぴあ」を買ったのだけど、ものすごい情報量が細かい文字でぎっしり埋まっている誌面を見て、頭がクラクラした。情報誌では読みやすさより情報量が優先するのは理解しているが、それにしても…という印象だ。

 ともあれ、そういう具合に読者の意識が変化しているのだから、20年前に教わったレイアウトの基礎を十年一日のごとく踏襲するだけではダメだなぁ、と思い始めている。



07/11/28 アリバイになる!?


 駅構内のイートインコーナーで昼飯を済ませようとしたときのこと。

 そばのどんぶりと水が入ったコップ、紙ナプキンなどが乗ったトレーを持って、空席を探していたら、風が吹いてきて、紙ナプキンがハラッと落ちた。
 つい拾おうとしてかがんでしまい、コップを倒して水をこぼしてしまった。
 誰も座っていないイスと床が濡れただけで済んだが、すぐ側で食べていた会社員のおじさんと女子高生に白い目で見られた。
 2人に「いま拭きますから」と声をかけ、空席にトレーを置いて、買った店でふきんを借りてイスと床を拭いた。でまた2人に「お騒がせして失礼しました」と詫びて、ようやくソバを食べることができた。

 ところで以前、同じ駅で、痴漢と誤認逮捕された大学生がいた。
 被害者の友人が「この人に間違いない」と誤った証言をしたことから、まったくの無実にもかかわらず逮捕され、2週間拘留された。

 この人が不運だったのは、犯行時刻のアリバイがなかなか証明できなかったことだ。1人で行動していると、「何時何分に何をしていたか」を明らかにするのは難しい。
 その人は後に、同時刻にレンタサイクルを利用したことを思い出し、半券と窓口の人の証言が証明となり釈放されることとなった。

 この件を知って以来、ぼくは、コンビニで買い物したに必ずレシートをもらい、財布に入れるようにしている。
 でまた万が一、なんらかの犯罪に巻き込まれたりしたら、あの騒動のときのおじさんと女子高生は、名乗り出てその時間にぼくが水をこぼしたのは間違いないと証言してくれるかな……なんて思ったりして。

 いや、チラとそう思った、というだけなんです。心当たりがあるわけじゃないです。



07/11/16 娘が読むのにちょうどいい本は何?


 娘(小6)から「何か面白い本はないか」と尋ねられることがある。
 彼女はちょっと前まで、さくらももこのエッセイを読んでいたが、あらかた読んでしまったそう。最近は山田悠介の、比較的怖くない(笑)作品を同級生から借りているようだ。

 今日本屋に行った折りに、さて小中学生が読んで面白い作家・作品は何だろう……と、書棚を眺めながら考えた。青春小説かライトミステリーで、短編か、せいぜい中編だろうな。すると宗田理か。それとも山中恒かな。赤川次郎や筒井康隆は古くさいだろうな。するとやっぱり、宗田理か山中恒か。いや、宗田理とか山中恒とか……。
 いくら考えても、同じ名前しか浮かんでこないのが情けなかった。

 思い返せば、子どものころのぼくは、ロクに本を読んでなかった。少年マガジンのたぐいの雑誌と、『○○のすべて』といった児童向けマンガシリーズばかり手にしていた。
 中学何年だったか、ヒマでヒマでしょうがないときがあって、とりあえず家にあった『どくとるマンボウ昆虫記』を読んだのが、まともな読書の第一歩だった。
 読みやすくて面白い内容だと感銘し、そこから北杜夫のエッセイを読み始め、そこにしばしば登場する狐狸庵先生こと遠藤周作のエッセイに手を出し、やがて動物好きだったから畑正憲のムツゴロウシリーズにのめりこみ……。
 そんな具合で、いい年頃に、たいした作品に触れてこなかったのだった。これじゃぁ娘にいいアドバイスなどできっこない。

 けど、「わかんない」じゃ父親としての沽券に関わる。こっそりと読書魔の知人に紹介してもらったり、著名・無名を問わずいろんな作家の青春小説を無差別に読んで、なんとか娘の期待に応えようとしているのだった。

 で、今日買った文庫本。
  『少年みなごろし団』宗田理・角川文庫。
  『七つの怖い扉』阿刀田高・宮部みゆきほか、新潮文庫。
  『突撃 三角ベース団』椎名誠、文春文庫。
  『真相はこれだ! 「昭和」8大事件を撃つ』祝康成、新潮文庫。
  『南極越冬隊 タロジロの真実』北村泰一、小学館文庫。(以上古書)
  『小さなスナック』ナンシー関・リリー・フランキー、文春文庫。(新刊)
 う〜ん、ほとんどが自分の趣味だ。やっぱりおれにはアドバイスは無理かも。


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