09/12/30  終わらない年末


指の怪我から2週間。装具を付けた指をかばいながらも、大きな支障はなく日常生活を送っている。
この年末は、定期物の年末進行に加えて、年またぎの仕事を一つ受けたため、今日もまだ仕事にきている。今日中終わらせて、明日か年明けの4日に校正紙を受け渡しする予定。進行具合によっては、正月の3日にも作業になるかも。

預かっているのは、校閲の仕事。校正紙を読み込んで、事実関係の正誤や表記ミスなどをチェックするもの。
キーボード操作に不安があるときに、パソコンを使わない仕事をいただいたのだ。日程に文句をいってちゃバチが当たる。
仕事場の大掃除が出来そうにないが、この際目をつぶろう。って、掃除しないのは毎年のことだけど。

この1年は売上が激減し、営業的にはさんざんだった。ただ、単発の仕事がいくつか入ったり、新しい取引先から続けて仕事をもらうなど、これまでない動きがあった。
たまたま買った雑誌に載っていた「来年の運勢」を見たら、ぼくの星座は2010年は運気上昇、金運向上とのこと。占いはほとんど信じていないが、今回ばかりはその言葉を信じてみたい。

政治の仕組みも大きく変わった。我が家にとっては、子ども手当と高校授業料の実質無料化がありがたい。鳩山さんや小沢さんの政治資金疑惑が取りざたされているが、それはそれとして、自公政権は考えもしなかった国民向けの政策を、粘り強く続けてもらいたい。

今年も一年、ありがとうございました。
来る2010年が、みなさんにとっても良い年となりますように。



09/12/21  やっちまったよ、マレット変形


柔道の練習に行って、また怪我してしまった。

中学生と寝技するときに、「さあ、どこからでもどうぞ」とばかりに四つんばいになったら、左手の上に中学生の膝が乗っかり、パキッと音がした。
とりあえず相手をひっくり返して、押さえ込んでる間に見ると、中指の第一関節が曲がったままになっている。痛みは鈍く、骨折や脱臼といった感じではない。腱が切れたかな、そしたら治らないかも…と思う。その後、アイシングしながら指導だけ続けた。

翌日、整形外科に行くと、医師が見るやいなや「マレット変形だね」。
http://www.joa.or.jp/jp/public/sick/condition/mallet_finger.html
↑まさにこの症状。レントゲン写真もうり二つ。
6週間ほど固定具をつけること、と言われた。

第一関節が動かないだけなので、キーボード操作はモタモタながらなんとかなっている。けど、この状態で年末年始の繁忙期を過ごすのかと思うと、頭が痛い。

いやそんなことより、中学生を相手に油断しまくり、基本的な体捌きができないという、自分の勘の鈍りようが歯がゆく、情けない。

練習不足だから勘が鈍り、怪我もする。だから治ったら練習量を増やしたい。
そう言ったら、細君に叱られた。
真面目にそう思うんだけどなぁ。



09/12/05  授業参観で転ぶヤツ


昨日、小学校の授業参観があった。以下、細君から聞いた話。

授業は国語。教科書に載っている物語を、登場人物を子どもたちに割り振り、寸劇風に演じながら音読していく、という授業だった。
うちの息子は電報配達人の役。「電報で〜す」のただ一言。

音読は進み、息子のセリフとなった。
「電報で〜す」と言いながら、2、3歩踏み出した息子は、どうしたことか、ズデンと転んだ。一瞬教室がざわめいたが、まあたいしたこともなく、そのまま進んだ。

後になって細君が聞いたら、なんと、ふざけて、わざとズッこけたのだとか。

「練習のとき、○○くんの足に引っかかって転びそうになって、みんなが笑った。その練習と同じようにやった」んだそうだ。

先生が「本番も練習通りに」とでも言ったのかもしれないが……。
いや、それは口実だ。セリフが少ないぶん、オーバーアクションで目立とうとしたに違いない。
とんでもない策士である。



09/12/03  スポーツ振興と国家予算


事業仕分けで、遠征費用などに充てる選手強化事業費の削減が打ち出されたことに対して、オリンピックメダリストたちが抗議の記者会見を開いた。
「縮減では遠征できない。子育て支援同様、スポーツのことも考えていただきたい」「自己負担金ばかりで五輪出場権を取りに行っているマイナー競技もあることを知ってほしい。縮減では、あまりに悲しすぎる」「国がしっかり支え、選手やコーチたちが安心して戦えるようにしてほしい」などと訴えたという。

これらの発言に、強い違和感を覚える。

彼らは、いったい誰のために、どんな目的で、スポーツに取り組んでいるのだろう。
彼らが世界の舞台で活躍することで、見る者に「感動」や「勇気」を与えている面は、たしかにある。ただ「感動」や「勇気」は、あくまでも他者が感じるものだ。彼ら自身の目的とはならない。
彼らは、アスリートとして、より成績を伸ばし、他の競技者より上位になることを目指しているはずだ。ならば目的は、彼ら自身のため、だ。思い切り突き放した言い方をすれば、彼らの自己満足のため、だ。
それをなぜ、国が「しっかりと支え」る必要があるのだ?

行政刷新会議のメンバー、片山善博氏(慶大教授)は、こう反論する。
「補助金は選手にとっては必要なことだが、仕分け作業ではスポーツ団体、たとえば日本体育協会とかは天下りがいっぱい居て不明瞭なことが多いという話が出ていた。(出席した選手は)そういうことを聞かされていないのではないか。周辺には、天下りOBの利権が全部絡んでいるんです。事業仕分けで1番大切なのは、そうしたゴミや垢がたまり、水漏れしているのを仕分けし排除することなんです」
http://www.j-cast.com/tv/2009/12/02055226.html

長野オリンピックのときに、会場整備を名目に多くの土木工事が行われ、その無駄遣いが批判された。西武鉄道の堤義明氏が長いこと権力を振るっていたJOCには、不可解なことも多く指摘されている。
アスリートの「強化費用」としてJOCに支給される補助金が、JOCや関連団体の事業費や人件費としてピンハネされ、結果、アスリートの遠征費用が厳しくなっているという面はないのか。
そういう意味での「改革」が、スポーツ界にも求められている。
今回の事業仕分けの方針は、そう受け止めるべきだろう。

国民の1人として、彼らを応援したい気持ちはある。
事象仕分けでも、事業費をゼロにするとはいってない。国の予算がないから削減する、といっているのだ。国民生活の安定を優先するのは当然だろう。
マイナーなスポーツの選手が支援を求めるのは、国に対してではない。JOCなりのスポーツ振興団体に対してだ。

概して、スポーツばかりに取り組んできて、その他の人間関係が乏しい選手は、現実離れした独りよがりの発言をすることがある。
彼らの発言からも、同様の印象を受けてしまうのだった。



09/12/01  不思議な巨獣は描けない


小学生のころ、写生が苦手だった。
木々の遠景、というか葉っぱの感じが、うまく描けないからだ。
点描みたいに筆でちょんちょんと色を乗せたり、水を多めに含ませてボカしたりして、雰囲気よく仕上げる子もいた。
でもぼくがやってもうまくいかず、いつもベタッとした仕上がりになってしまうのだった。

6年生の写生会のとき。無理に木を描こうとしても、どうせ失敗するんだよな……と思って、遠景を描くのは諦めることにした。
それで、仏塔というのか、高さ数メートルの塔を画用紙の中心にドカンと据えて、細部まで描いた。いわゆるクローズアップ手法だ(笑)
それが、「よく描けている」と、先生に褒められた。

次の写生会では、やはり寺にいったのだけど、大屋根の真下に行き、遠近感を強調した構図にした。桟の一本一本を描くのが面倒だったが、自分でも面白い具合に仕上がった。そしてまた褒められた。

その後、中学の図工、高校の美術など経験して、自分は情緒的・創作的なものは苦手で、どちらかといえば写実やデッサンが得意だとわかった。
友人の顔をブロンズ粘土で作る、という美術の課題では、ぼくの作品はリアルすぎて不気味だ、と同級生に言われたこともある。

えーと、自慢をするつもりじゃないんです。ここから息子の話に。

息子が授業で描いた絵が、先生方の目にとまったようで、いま県の何とかセンターに展示されている。
もらってきたカラーコピーを見ると、なんだかよく分からない架空の生きものが、カラフルに描かれている。タイトルは「ふしぎなきょじゅうがうまれたよ」。モチーフや色遣いからして、ぼくにはこういう絵は絶対に描けない。

そして思うこと、その1。親に備わっていない感性を、なぜ息子が持っているのか(それがいわゆる「子ども」というものだろうか)。
その2。子どものそういう感性を、クリエイティブな感性に乏しい親がどう育て、見守っていけばいいのか、ちょっと戸惑っている。



09/11/26  怪我はヤだなぁ


右手親指のつけ根の、鈍い痛みが引かない。

柔道の稽古中に、へんな方向に曲がったようなのだけど、それももう1か月くらい前のこと。
そのうち治まるだろうと放っておいたら、ここまで長引いてしまった。いい加減うっとおしいので、この際きちんと治そうと思う。
で、マッサージをしたり、昨日からは湿布を貼って(いまさら)、サポーター代わりに包帯を巻いている。
見た目が、なんだか重症になってしまった。

同じ日の稽古でやってしまった、右足の軽い肉離れも、普段は何ともないのに、少し走ると怪しくなる。
右足の甲の関節の鈍痛も、何かのはずみでぶり返す。これもまた、だいぶ前に痛めた部分だ。

40歳も過ぎれば、怪我をしたあとの回復に時間がかかるのも、しょうがないのかもしれない。
それにしても、オレの体はここまで衰えているのか……と思い知らされ、落ち込み気味のこのごろだった。



09/11/19  おれはタイヤか


去年から感じていたことだけど、最近のダウンジャケットは薄くてスリムだ。
ユニクロの今年のラインナップだと、ダウンのモコモコ感はなく、とても動きやすそう。いい年してユニクロで身を固めるのもどうかと思いつつ、でも1枚欲しくなる。

いま着ているダウンは、数年前にけっこうな額で買ったもの。暖かいし、色もいい感じなのだけど、今見ると、ミシュランのキャラクター・ビバンダムくんを連想しちゃうモコモコぶり。
正直いって、スリムダウンが流行っているこのご時世に着て歩くのに、抵抗を感じている。

まったく、流行ってのは罪作りだ。



09/11/13  “無駄”と言い切っていいのだろうか


2010年度予算の概算要求から“無駄遣い”を洗い出す、行政刷新会議の「事業仕分け」が行われている。
国の予算編成の内容見直しを、公開の場で行うことは、画期的だと思う。
「メンバーの人選が不透明」「事前に決まっている結論を押し通すだけのセレモニー」などの批判もあるが、霞ヶ関の密室で、官庁どうしの力関係で決めるよりはよほどマトモだ。
今回のやり方がよくないのであれば、次回から見直せばいいだけのこと。

ただ、どうしても気になるのは、“無駄”という言葉だ。

たとえば天下り団体が、請け負った公共事業を下請けに丸投げして、売上をピンハネする、なんてのは、“無駄”と言っても異論はないだろう。
しかし、発注先が人員を動かし、適正な(過剰でない)報酬を支払うのであれば、雇用促進・景気刺激の面もあるはずだ。
この景気状況、予算が乏しいなかで、「いま・すぐ・緊急に」行う必然性があるかどうかは、問うてもいい。でも、その必然性がなければ“無駄”、と決めつけるのは行き過ぎではないか。

様々な事業が廃止されているけど、ってことは、その事業を行っていた母体は、それまで“無駄”なことをしていたと、レッテルを貼られたわけだ。
「あなたたちがやってることは“無駄”です」
この言い方の傲慢さは、どうだ。

一見“無駄”に見えるけれども、そこに意味があることもある。
話の次元が違うけど、たとえば、床の間。季節の花を置いたり正月飾りをしたりと、生活にうるおいをもたらす空間だけど、いまの住宅ではあまりみられない。おそらく、床面積なり収納を増やすために、真っ先に削られたのだろう。

たとえば、仕事時間中の同僚との会話。集中が途切れた時の気分転換になり、精神的なリラックスにもなる。無駄話一切禁止、なんて職場では、息が詰まってしまい、疲労が積もってしまうだろう。

たとえば、河川の公共事業。三面張り(両川岸と川底をコンクリートで固める)する事業は不要だが、三面張りされた河川を自然護岸に直す事業なら、大いにやるべきだ。それは果たして“無駄”な工事なのかどうか。

つまりその、そんな感じニュアンスで、必要な“無駄”と、不要な“無駄”とがあるんじゃないか、と思うのだ。

なので、「“無駄”を省く」ではなく、「“節約”する」とか、「緊急でない事業を“見送る”」といった観点に切り替え、言い方もそのように変えたほうが、妥当であり、余計な摩擦も減っていいのではないか。



09/11/12  逃亡者の生活力


英国人女性の死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋容疑者が逮捕された。
事件についてや、彼のパーソナリティについて、かなり報道されている。
そんななかで意外に思い、注視していることがある。
それは、彼の生活力の強さだ。

市橋容疑者は、職務質問の最中に、裸足のまま逃亡したという。おそらくサイフももってなかったか、持っていたとしても所持金は乏しかっただろう。
なのにそれから約2年半、何らかの仕事をして、金を貯めて整形手術をし、各地を移動しながら生きてきた。
事件の実像についてはいったんおいて、さて、自分にはそこまでの生活力、生命力はあるだろうか……と思ってしまう。

当初は、万引きや置き引き、ホームレスもしたのだろう。そして、ホームレス仲間から飯場で働くことを教わったのではないかと推察する。
飯場では、毎月10〜15万円の手取りを得ていたという。冷静に考えると、決して大きな額ではない。食事と部屋代は別(抜いた額)とはいえ、毎日毎日、肉体労働をして得る報酬だ。15万円としても、1日あたり5000円。憂さ晴らしに飲みに行けば、すぐ消費してしまう。
彼にとって、逃亡することだけが全ての目的だったはず。それにしても、ギリギリの生活を2年半も続けるのは、並大抵のものではない。

いざとなれば、そこまでの“根性”が発揮できる青年が、どこで何を間違ってしまったのか。逃亡せざるを得ない状況を招くことなく、“真っ当な”生き方をすることはできなかったのだろうか。
彼の内面と、彼を取り巻く状況がどのようなものだったのかが、とても気になる。

藤原新也氏のブログ(11/10のエントリー)に、もっと深く洞察した文章が掲載されている。そちらも読んでいただきたい。というか、そちらを読んでもらえば、ぼくの文章など読まなくていいくらいだけど。
http://www.fujiwarashinya.com/


※市橋容疑者は、現時点では「死体遺棄」の容疑者であり、殺人に関しては問われていない。彼を殺人の容疑者と決めつけるような報道も見受けるが、それはミスリードだ。推定無罪の原則から逸脱している。



09/11/06  「元気に登校」?


学校閉鎖も解除され、娘も登校を再開した。
すべての部活動が今週いっぱい(日曜日まで)休止されているが、授業は体育を含めて通常通りおこなっているようだ。

中学校では沈静化しつつあるが、こんどは小学校に広まりつつある模様。いま2、3のクラスが学級閉鎖となっている。
兄弟がいれば、感染し合って互いの学校に持ち込むこともあるだろう。
幸いなことに、娘から息子への感染はなくて済んだ様子。こんどは学校からもらってこないよう、まだ注意が必要だ。

それはそうと、中学校のブログを見たら、学校閉鎖解除の報告が載っていた。

 「今日で学校閉鎖が解除になりました。
  生徒たちはマスク着用で元気に登校しています」

マスク着用で元気に…?

発症してないから登校するわけで、だから予防のためにマスクをする、という状況はわかっている。それでも、この表現、なんかおかしくない?
担当の先生は書きながら、違和感を覚えなかったのかしらん。



09/11/02  娘、回復


娘の具合がだいぶ回復した。
昨日あたりから平熱に戻っている。今朝も普通に起きて、いつもどおりの量の朝飯を食べ、食後も横になることなく、部屋で片付けやらなにやらしていた。
学校閉鎖は明日3日まで。4日からは登校できるかもしれない。

と、ここで疑問を覚える。
細君によると、娘を診断した医者は、どんな状態になったら登校してよいか、については、何も触れなかったらしい。
それを尋ねなかった細君もどうかと思うが、いちおう、処方された5日分の薬を飲みきったらいいだろう、と判断したそうだ。

溶連菌かなにかの感染症の場合、症状が治まっても、まだ体内に菌がいるから、1週間は抗生剤を飲み続けなければならない。たしか季節性インフルエンザについては、症状が治まったらまた受診して、医師のOKが出てから登校する、と学校から通達がきたと思う。
新型インフルエンザについては、そういう回復期間について、医師からの指導が不徹底に感じる。

厚生省のHPによると、解熱後2日間は外出禁止、「発熱や咳(せき)、のどの痛みなど症状がはじまった日の翌日から7日目まで」は、出来るだけ外出しない、とある。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/inful_what.html

子どもらが通う学校でも、いったん治まったのにまた流行する、ということを繰り返している。「熱が下がったからOK」と判断して登校させる親御さんが案外いて、登校した子が再びウィルスをまき散らしているのではないか。

学校閉鎖が解除する4日の時点で、娘は発症から7日目。他人に移す可能性はかなり低いだろうが、どうも気がかりだ。う〜ん、悩ましい。



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