骨抜き魚って、どうよ?



 知人のAさん(有職の女性)から、「骨抜き魚」をどう思うか、と
 メールが届き、やりとりしました。
 「食べやすいかどうか」だけの問題じゃない、とお互いに感じています。




2003年3月3日
Aさん → うめざわ

 朝のテレビで、小学校の給食に「骨抜き魚」を出している所がある、という話題をやってました。
 骨抜きといっても一尾ではなく切り身です。骨を抜いているのは東南アジアの人です。
 かなり怒りを感じました。間違ってるよね。



3月3日
うめざわ → Aさん

 「骨抜き魚」って、もともとは高齢者介護用に商品化されたものだそうですね。
 けれども、骨なしで食べやすいというので、一般の市場にも流通するようになってきたとか。
 それにしても、給食までも、ですか。

 介護食の場合は、致し方ない面もあろうかと思います。
 でも、それ以外の場合は…。
「骨つきの魚は子どもが食べないが、これなら食べてくれる」という親の意見。
「開発途上国に新たな産業を提供する」という業者の意見。
「魚の消費拡大につながるのだから、いいじゃないか」という意見。
 それぞれ一理ありそうですが、でもぼくもやっぱり、おかしいよな、と思います。

 つまるところ、「自分の手で、箸を使ってやるべきこと(やれば済むこと)を、金を払って他人にやらせている」わけですよね。
 これ、傲慢ですね。
 お殿様の喉に骨が刺さったら一大事だと、家来たちがサンマの骨を一本一本抜いてから献上した、なんて話(落語「目黒のサンマ」)じゃないんだから、ねえ。

 ぼくも骨取りを面倒だと思ってしまう口だから、子どもたちの気持ちもわからないでもないです。
 でも、親がそれにこびてつき合う必要はない。
 面倒でも、骨に気をつけて食べることを教えないといけない。
 魚を食べるということは、本来そういうものなのだから。
 そう、考えています。



3月4日
Aさん → うめざわ

 私も、許せるのは、高齢者と病人の範囲であると思っていたので、早くも小学校の給食に採用とは、驚きました。

 咀嚼というのはただ物を噛み砕くだけではなくて、体に危険な異物を感じとって排除したり、食べられるものかどうかを匂い等も含めて検知したり、よく唾液と混ぜ合わせることによって解毒作用を高めたり……生きていく上でとても重要な動作だといいます。
 太古の昔は、咀嚼をおろそかにすれば「生きるか死ぬか」を分けることもあっただろうと思います。

 今は食べ物すべて「安全保障つき」となり、やわらかい食べ物をなんの疑問もなくのどに流し込む時代となりましたが、骨を感じとってよけたり、硬い物を噛み砕いたり、という生存の基本的な機能をスポイルしてしまうと、これから先食糧難となったときなど、ゆゆしき事態になるではないでしょうかねー。

 それに、そういう咀嚼動作は、脳・神経の発達やホルモンの分泌とも絡み合っているそうですから、長い目で見ると、身心全体のゆがみにも影響があるのではないかと思います。
 手足を使わなければ脳が衰えていくのと同じように。
 実際にその懸念を抱いている学者も少なくないようです。

 ということも、気になるのだけれど、海に囲まれた日本は言わずと知れた「魚介大消費国」。世界中の魚介消費量の1割近くを食べています。
 健康面でも魚介のよさが見直されている昨今、私たち日本人は、魚を食べることにもっと敬意と感謝の念と誇りを持ってもいいのじゃないかと思うのです。

 その基盤作りの時期でもある子ども時代に、東南アジアの工場で骨を抜いてもらった「半加工魚」を食べさせるなんて、食べ物や世界の人々を冒涜しているような気さえしてしまいます。
 (案外、間に立つ商社のすごい戦略攻勢があり、それに呑まれているのかも……。それならなお許せないけれど)。

> ぼくも骨取りを面倒だと思ってしまう口だから、
> 子どもたちの気持ちもわからないでもないです。
> でも、親がそれにこびてつき合う必要はない。
> 面倒でも、骨に気をつけて食べることを教えないといけない。
> 魚を食べるということは、本来そういうものなのだから。

 私も小さい頃は骨のある魚を食べるのが面倒な時期がありましたが、あるとき「魚を食べるのがじょうずだね」と誉められて以来、大好きになりました(単純なだけか)。
 それに、大人になったら、一尾魚の味わい深さが分かるようになりました。
 なんでも理解するには時間がかかると思うので、大人が自分の都合や嗜好で「簡単便利」を押しつけてはいけないのだと思います。

 ……といいつつ、ウチの子どもたちも骨付き魚は食べるの面倒くさそう……。
 それに、最近は魚もえらく高いので、ついつい、安価なサバやサケの登場回数が増える日々……。
 骨は一応ついているとはいうものの、なんか安直。
 魚と親しませる「教育」は難しいことではありますね。



6月21日
Aさん → うめざわ

 ところで、「骨なし魚」の後日談?ですが、『食べもの通信』(家庭栄養研究会編集・食べもの通信社発行)6月号には、次のようなことが書いてありました(要約)。

【骨なし魚は、冷凍加工食品メーカーが人件費の安い中国、タイ、ベトナム、などの工場で、冷凍魚を半解凍し、骨をピンセットで抜き、塩と結着剤(動物の血液に含まれる酵素など)などを用いて成形し、再冷凍している。
 学校給食への導入は、埼玉、千葉、群馬、栃木などで実施。東京、神奈川、山口では扱わないとしている。近畿や九州でも扱わない県が多い。
 意外な需要は、生協。若い主婦層に人気という。
 ある加工メーカーの人は「本当は骨付きの方が美味しい。給食で嫌われるのは、食事時間が短すぎることも一因」という。その辺も課題かもしれない。】

 この先1〜2年後の定着度で、日本人の現状や感性が推し量れるかもしれませんね。



6月24日
うめざわ → Aさん

 うちでも生協に入ってまして、先日、たまたま生協の会報を見ていたら、会員からの意見ということで、骨抜き魚のことが載っていました。
 手元に会報がないので、覚えている部分だけ記憶で書いてみます。

(要旨)
・骨抜き魚は、結着剤で成形するというが、その薬品の安全なのか。
  → 回答)食品由来のものを使っているので安全です。

・骨抜き魚は、確かに便利だが、生協の理念に合った商品とは思えない。
 (安全性への疑問、食文化を守るという観点から)
 会員の要望があるから扱うというのでは、スーパーと変わらない。

 そもそも、この生協で骨なし魚を扱っているとは知りませんで(←カタログをあまり見ていないのがバレバレ)、とても意外でした。
 ぼくの印象でいうと、このところの生協などは、「買い物に行く手間がはぶける」という利便性で、参加するケースが増えているような気がします。食品の安全性は、付加価値みたいになっている。
 悪くいっちゃえば、本末転倒じゃないかな、とも思います。
 利便性を優先したって、もちろんいいのだけど、生協の側が、そのために「理念」を捨てるような真似はしてほしくないものです。

 「食事時間が短いことが一員」という意見は、たしかにそうかも知れませんね。
 学校給食も、家庭も。あと「骨がゴミになり、臭い」とか。
 どこもかしこも、ファーストフード化しています。



6月26日
Aさん → うめざわ

 うめざわさんの生協はひょっとしてうちと同じ生協ではないでしょうか。私も注文書に骨なし魚を見つけてギョッとしました。

 この生協は最近、一般の魚介でも半調理スタイルのもの――味や衣をつけてあったり、調味液の袋がついていたり――が増えていて、購買層の変化を感じます。煮魚の煮汁用調味液がついているのもあってびっくり(試しに買ってみたら、味が濃くてまたびっくり)でした。

 料理の苦手な人には便利なのでしょうが、味付けなど慣れてしまえば難しいことではなく……、なんでも業者にお任せにしてしまうことで、頭やら手足やらどんどん使わない生活になって、人間そのうちにいろんな能力が退化してしまわないかなあ…などと気になってくるこの頃です。
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