06/1/24 堀江社長逮捕報道

 ライブドアの堀江社長が逮捕された。昨晩はその報道一色だった。
 彼の去就には関心がない。有罪だろうが無罪だろうがどうでもいい。ただ事件の報道の仕方が気になってしょうがない。

 昨晩の日本テレビ「きょうの出来事」を見た。ミニ特集のナレーションが「なぜ転落人生を歩んだのか」「最後(逮捕直前)まで強気だった」と語る。堀江社長と携帯電話で直接話した番組プロデューサーが、逮捕直前の口調からして「彼は嘘をついている」と言う。
 なんともイヤになるほど、雑で、冷静さも理屈もなく、情感にのみ訴える報道姿勢だった。
 「逮捕」とは、犯罪容疑のある人物の身柄を拘束することであり、その後の裁判で有罪判決を下されない限り、容疑者は推定無罪(有罪とはいえない)なのが基本だ。この段階で容疑者を「転落」した者(=犯罪者?)と決めつける根拠はない。報道機関が容疑者を「転落」者呼ばわりするのは行き過ぎた奢りだ。また「強気だった」としても、当人が無罪を確信しているのであれば、弱気になる必要などないではないか。さらに、本人が反論できない状況で、番組制作者が容疑者を「嘘つき」呼ばわりすれば、視聴者には一方的な見解しか伝わらない。実にアンフェアであり、傲慢なことだ。番組は、制作者は、いったい何様だと思っているのか。

 堀江社長を弁護する気持ちなどさらさらないが、といって“何でもあり”の報道を見過ごすことはできない。推定無罪は犯罪報道の大原則だ。それを守れない報道は、松本サリン事件の初期報道で犯した大誤報から、なにも学んでいない。仮に堀江社長が有罪だったとしても、結果オーライにはならないのだ。

※1/18に「1年半も前の容疑で……」と書いたのは、どうせ軽微な容疑を大げさに騒ぎ立てるのだろうと思ってのことだった。背後に深い闇がある(らしい)ことに思い至らなかったのが恥ずかしい。
 がしかし、あのタイミングでの発表には、やはり裏があったはずだと、今でも思っている。


06/1/23 米国産牛肉輸入停止

 輸入が再開されたばかりのアメリカ産牛肉から、危険部位である背骨がついたままの固まりがみつかり、輸入停止措置がとられた。小泉首相やら武部幹事長やらが「遺憾」と言っているが、何ともばかばかしい。
 検討委員会の視察団が米国に赴いて視察したのは、ついこの間のこと。あちらさんが用意した処理場を駆け足で視察して、「問題なし」としたのだった。その視察がいかに節穴だったか、バレバレだ。これでは、始めから輸入再開に向けてのアリバイづくりだったと思われても仕方なく、実際にそう思う人も多いことだろう。
 同時期に、牛丼チェーンのすき家((株)ゼンショー)が独自に訪米して現地調査をしている。その結果、「現段階では、日本の国民の皆様に、消費者に「安心して食べてください」と言える段階ではないという認識を持った」から「今は使わない」と結論づけた。こちらの判断がきらめいて見えるところに、笑えない喜劇がある。

 それにしても、背骨が丸見えという、素人が見てもはっきりとわかるルール違反には笑ってしまった。アメリカの良心的な検査官が、「当国産牛肉は危険だから、考え直せ」と警告するために、わざと見逃したのではないかと、つい勘ぐってしまう。
 背骨でなく、髄液(背骨の中にある液体。異常プリオンが存在する)が付着した程度だったら、目視での検査では絶対に発見されないのだから。


06/1/18 大ニュースが重なる日

 昨日は大きいニュースが重なった。幼女連続殺害事件の宮崎被告に最高裁死刑判決。阪神淡路大震災の11周年。そして耐震強度偽装問題でヒューザーの小嶋社長の国会証人喚問。
 昼間、FMを聞きながら気づいた。そういう大きなニュースが重なる日に合わせて、国会証人喚問の日程を決めたのだなと。他に報道すべき事がなければ、証人喚問の内容が詳報され、関係者との距離が近い議員が多い自民党、さらには承認検査を民営化した政府にとって、ダメージが大きくなる。それを避けようとしたに違いない。
 1年半も前の容疑でライブドアの家宅捜索がその前日(16日)に唐突に行われたのも、あまりにタイミングがよすぎる。検察に対して大きな力が働いたのは、まず間違いない。(であるなら、昨年の総選挙で応援したホリエモンを、別件から目を逸らすために切り捨てた自民党の冷酷さに、今更ながら背筋が凍る思いがする。あるいは、あとで何らかのバックアップをする約束でもあるのか?)
 宮崎被告の死刑判決。大地震から11周年。ライブドア家宅捜索。耐震偽装問題の背後関係。どれも重要ではあるが、より切実で、根が深い問題はどれか。関心と怒りを向ける先を見誤らないよう、要注意。


06/1/12 米兵逮捕&被害者の通夜

 横須賀で米兵が女性を殺害した事件で、容疑者が警察に引き渡された。また昨晩、被害者の通夜に米兵約100人が参列したと報道された。中には在日米海軍司令官の顔も。
 沖縄ではこれまでに何度も、米軍兵による殺人、暴行、強姦、ひき逃げ事件が発生している。けれど、上官が葬儀に参列したという報道は、これまで耳にしたことがない。そもそも、日米地位協定を楯に容疑者を帰国させるのが常で、その身柄が日本の警察に引き渡されたことも(ほとんど?)なかったと思う。
 今回に限り、こういう対応をしたのは、小泉首相のお膝元の横須賀だから、首都に近い神奈川県での事件だから、あるいは沖縄の基地移転問題への波及を避けるため、といった政治的な配慮だろう。米軍のダブルスタンダードと、沖縄に対する冷淡な態度があからさまに見える。
 仮に、沖縄での事件被害者の元を米兵が訪れていたとしたら、それを報道しないマスコミに、沖縄軽視の意識があることになる。事実はどちらなのか、誰か教えてほしい。

 それにしても、司令官らの通夜参列を受け入れた遺族の心情はいかほどのものか。怒り心頭であっても、断ることはできなかっただろうと察する。
 そして、この事件のために、昨年12月に八王子で米兵が小学生3人をひき逃げした事件が、どこかに飛んでしまった。こちらの被害者とその家族の心情も、察するに余りある。


05/12/29 交通事故死者数7000人弱

 今年の交通事故死者数が49年ぶりに7000人を下回りそうだとのこと。警視庁によると、「道交法の改正による罰則強化や取り締まりの効果」だそうだ。
 マス(全体)として、統計として見れば、光明が差すニュースなのだろう。が、被害者の身内にとっては、また加害者にとっても、そんな数字はまったく意味もない。7000分の1だろうが1万分の1だろうが、かけがえのない命が失われた事実、他人の命をあやめてしまった事実に代わりはないのだ。
 年間7000人なら、毎日19人が死亡していることになる。ちなみに負傷者数は約114万件で、毎日3000人以上。そのそれぞれに身内がいて、大なり小なりの嘆きと、精神的・肉体的・経済的負担を負っている。そんな現実に目を向けたら、「死者数が減った」と素直に喜ぶことなどできはしない。


05/12/19 オリンピック出場資格

 浅田真央という15歳のフィギュアスケート選手が、日本人選手として2人目の国際大会グランプリ(GP)ファイナルで優勝した。これだけの実力者にもかかわらず、国際スケート連盟のオリンピック出場資格に達しない(開催前年の7月1日の前日までに15歳に達していること)ため、トリノオリンピックに出場できない。このため、「特例」として出場を求める声が、市民やらメディアの間で挙がっている。
 けど、そんなのは「自分勝手」な言い分だ。けっきょくのところ、浅田に金メダルをとらせ、「ニッポン万歳」を言いたいがための意見ではないのか? 仮に他国で同じようなアスリートが登場し、ミキティこと安藤美姫のメダルの機会が減るかも知れない状況になっても、同じことがいえるか?
 実力があるのに機会が与えられないのは気の毒だが、2000年にはこの規定は決まっていた(正しくは、実力者は年齢制限以下でも出場できる特例が2000年に廃止された)。それがおかしいと思うなら、当時の時点で疑問視すべきだった。ヒロインが登場してから声を上げるとは、何をいまさら、だ。
 規定への疑問点を追及するのは悪くない。けど特定の人物を祭り上げるようなかたちで、ルールそのものの変更を迫るような意見には同意できない。


05/12/14 小泉首相の思考レベル

 ASEAN(たしか)の首脳会議席上で、小泉さんは、なぜ中国が靖国参拝問題を理由に日中首脳会談を断るのか理解できない、と発言したと記事になっていた。
 この人はほんとにどうかしている。人間どうしのことだから、理解できないことがあるのはやむを得ない。大事なのは、理解しようとする努力だ。そのためには言を尽くした議論が必要だ。けれど、この人は議論をしない。一方的に自分の意見を述べ、反論されてもはぐらかす。そして「理解できないから、自分の信念に従って行動する」とのたまう。
 これでは、第三者が間に入ってケンカした当事者同士を仲直りさせようとしているときに、「あいつの言うことのほうがおかしい。おれは納得しない。絶対に謝らない」と言い張っているガキと同類だ。
 国際会議の場でそんな醜態をさらして恥じない人物が、日本では圧倒的人気を誇る首相であるのが、こっけいであり、情けない。


05/12/3 他人事でない幼女誘拐殺害事件

 広島県で小学1年生の女の子が下校中に行方不明になり、段ボール箱に入った遺体で発見された。
 その事件から日も経たないうちに、栃木県の女の子もやはり下校中に行方不明となり、茨城県の山林で遺体で発見された。

 昨日、娘が学校から持ち帰ったプリントによると、最近、娘が通う小学校の児童が下校中に、車に乗った男に声をかけられたケースが2件あったという。1件は中年の男1人、もう1件は4人の男だったそう。力ずくでクルマに引き込まれたりしなかったのが幸いだ。声をかけられたうちの1人は娘の友だちで、現場はうちの近所。他人事ではない。
 どんな衝動にかられ、何の目的で声をかけ、殺害するのか理解できない。何にせよ力の弱い、つまり抵抗されても押さえつけられる少女を狙うのは、救いようもなく卑怯だ。


05/11/25 マンション耐震強度偽装事件

 千葉の建築士が構造計算書を偽装し、耐震性能が劣るビルが多数建っていることが問題になっている。
 建築士がしたことは、倫理としてやってはならないことだ。彼の犯罪性はぬぐえない。
 が、彼一人の責任であるわけがない。彼に発注した発注元は、彼を選んだ責任、構造計算書の偽装を見抜けなかった責任(あるいは、偽装をせざるを得ないような無言の圧力を加えた責任)があるし、現場の人々、ことに管理者は「おかしい」と思いつつ施工した道義的責任がある。建物の建築検査をした会社には、お墨付きを与えた責任が伴うはずだ。(でなければ、何のために検査をするのか?)
 つまりは、コスト削減が最優先され、「おかしい」ことを見抜くことができず、「おかしい」ことを「おかしい」と言えない、業界風土全体に異常性があったのだと思う。
 ぼくが仕事する業界に照らしてみると、その異常性が伺える。末端の一作業者が、最終出版物のミスをすべてぬぐわなければいけないはずがない。何のために中間業者(コーディネート企業)が存在するのか。


05/11/17 自動車運転中のケータイ事故

 「今年の携帯電話使用中の事故は900件で、昨年より1000件減った。運転中の携帯電話使用の取り締まりを強化した効果と見られる」とのニュースを耳にする。半減してよかったよかった、というニュアンス。
 バカをいうな。ケータイがなかった時代にはゼロだった事故原因が、いまだに900件もあることのほうが重大だ。


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