06/3/23 送金メール問題を改めて

 民主党の永田寿康衆院議員が、いわゆる送金メール問題について、釈明記者会見を行った。
 相変わらず言い訳たらたらの、だらしない会見。こんなものを何度やっても、永田議員、民主党とも汚名返上になりはしない。

 いまさらながら、初めて「送金メール」が公表されたときに感じたことを。
 メールには「3000万円を振り込むよう手配してください」とあった。振り込みをするように〈指示している〉だけだ。けれど永田議員は、3000万円を〈振り込んだもの〉と決めつけて追及していた。そこに真っ先に疑問を覚えた。
 ならば、よほどの確証があるのかと思っていたが、すぐに腰砕けになってしまい、前原党首が「お楽しみに」と予告した党首討論も、唖然とするほどのお粗末ぶりだったのは、ご承知の通り。

 編集業界の片隅にいる立場からいえば、事実を記録に残るかたちとして公表するには、相応の確認作業が欠かせない。第三者からの証言を得たり、別の複数の資料にあたるのは、誰でもやってる最低限の作業だ。
 永田議員の場合、情報提供者を表に出せないのであれば、永田議員本人の責任において確認作業をし、公表するほかない。当然、以降の責任は永田議員に属する。であればこそ、いっそう慎重に事を運ぶべきであった。しかも相手は百戦錬磨、裏も表も知り尽くしている自民党。相当の確信と覚悟がなければ対決できないだろう、ふつう。
 なのに、真贋定まらないメールを鵜呑みにして、メールの内容以上の追及をしていたとは、もはや幼稚としかいいようがない。この程度のレベルの議員に対する処遇が、いつまでたっても定まらない民主党が野党第一党なのが、いっそう情けない。
 もっとも、安っぽいバラエティ番組のような予告をし、恥の上塗りをした人物が党首を務めるのだから、しょうがないことか。

 このお粗末な騒動で、「ライブドア問題」「耐震偽装物件問題」「BSE問題」「防衛施設庁の談合事件」のいわゆる「4点セット」が、ほとんど棚上げになっている。永田問題なんかさっさと片づけて、本来の大問題のほうを追及しろってんだ。


06/3/22 小学生向けPHS端末

 ゲームメーカーのバンダイが6月に小学生向けのPHS端末を発売するそうだ。
 「端末を持つ子どもがどこにいるかを保護者がメールでチェックできるほか、電源が切れた時には位置情報を自動的に、事前登録したアドレスに発信する機能もつけた。子供が万一、事件に巻き込まれて電源を切られた時にも、所在地を知らせてくれるわけだ」(毎日新聞、3/17)
 ぼくも小学生の親として、子どもが犯罪に巻き込まれることへの不安感は抱いている。このような機械が求められる時代の気分もわかる。
 が、どうしても「親が子どもを監視したいのではないか」という疑問を強く感じる。
 この端末を持てば、子どもは自らの居場所を、常に親に知られることになるのだ。学校帰りの寄り道も、コンビニでの息抜きも、親には内緒の友人とのつきあいも、すべて明らかになってしまう。子どもは遠くにいながらにして親の監視の目に晒され、行動を管理されることにはならないか。いつも誰かに見張られていることにストレスを覚えはしないか。そのストレスのほうが、子どもたちにより深刻な影響を与えはしないか。
 「携帯電話用のゲームや、たまごっちなどの人気キャラクターの画像をダウンロードできる専用サイトも用意した」(同)というが、このようなアメを用意して、監視というムチの痛さをぼかしているように思えてならない。


06/3/17 野宿生活者焼殺事件

 兵庫県姫路市で、野宿生活者に火炎瓶を投げつけて焼死させたとして、少年4人が逮捕された。
 このような未成年者による事件が発生するたびに「残酷な少年犯罪」「心の闇」などと強調される。
 しかし、と思う。では大人たちは、野宿生活者に対してどのような感情を抱いているのか。
 知人が「あいつらは働かないでラクしている」「人間として失格」と語り、愕然としたことがある。同じように思っている人、あるいは「汚く、臭いから近寄りたくない」「何をされるかわからない」と敬遠する人も、決して少なくないはずだ。
 体裁や行動はともあれ、同じ空間で生きている人間に対して、その存在を全否定する人々には「心の闇」はないのか。野宿生活者を蔑視する心は、特別に凶悪な人間だけにあるものなのか

 名古屋、大阪、東京など大都市では、行政がしばしば野宿生活者を「排除」している。現実にそこにいる野宿生活者を公園などから追い出し、見えないもの、存在しないものにしようとしている。この行為は、行政による野宿生活者に対する虐待ではないのか。少年たちが野宿生活者に暴行を加えることと、行政が力づくで(怪我人も出ている)排除することとでは、実際に行っていることとして紙一重の違いしかないのではないか。
 行政のこのような行為を「当然だ」「やむを得ない」と思う人の中にも、「心の闇」があると、ぼくは思っている。


06/3/14 米軍岩国移転問題の住民投票

 山口県岩国市で住民投票が行われ、米軍の空母艦載機の岩国基地移転に反対が圧倒的多数という結果が出た。それに対して自民党の片山虎之助参院幹事長が、「安保や防衛など国が責任を持つことを、住民投票にかけることは適当でない。一種の地域エゴイズムだ」と述べたという。(06/3/13毎日新聞)
 まさに「国家エゴイズム」丸出しの、ホンネ発言だ。
 これまで、成田空港をはじめ、各地の原発計画、大型道路・鉄道・ダムの建設、干拓事業など、どれも「国家エゴイズム」で進めれられてきた。
 地元住民の意見を聞かないまま計画を進め、あらかた決まってから不意打ちするように公表。住民からの疑義や意見は黙殺し、「国が決めたことに文句を言うな」とばかりに、淡々と事業を進める。
 その影響が自らの生活に直結する立場にありながら、おいてきぼりにされている住民が、さまざまな対抗策を打ち出すたびに、政府は傲慢な態度で地元批判を繰り返してきた。そうして問題がこじれ、いまだに多くの禍根が残っている。
 「公共の福祉」という理由はありうるとしても、一部の住民に過酷な思いをさせながら、他の人々がその利益を享受することが、正しい「公共の福祉」と言えるのか。
 それは、直接の利益を得る一部の人々と、有利にも不利にもならない無関心な多数派が結果的に結託して、直接の不利益を被る少数派に対してエゴイズムを押しつけていることに他ならない。

 今回の「反対」意見は、住民の疎外感、焦燥感に思いをはせることなく、地元の現状を知ることもなく、はるか遠方の机上で計画を進めることへの異議申し立てだ、と解釈すべきだ。


06/3/13 東京都が五輪開催地に立候補

 東京都が2016年オリンピックの開催地として立候補した。今後、福岡など国内の別地域と候補地争いをするという。
 ぼくは一昨年に東京を離れたが、東京都民をやめてよかったと心底思う。
 五輪招致に向け、これから多大な予算を組んでアピールをし、万が一候補地となったら、施設の新設や補修に莫大な予算が費やされる。
 都は「予算がないから」と、主に福祉・教育分野の予算を削ってきた。なのにオリンピックという一時的なイベントのために、実になるともならないともわからない予算をかけるのは、どうしたことか。
 そんなことをする以前に、しなければいけないことが多すぎる。たとえば老朽化した都営住宅の再建、補修のほうが、よほど切迫した問題だ。外壁にひびが入り、剥がれ、間取りも設備も古く、使い勝手の悪い都営住宅を知っている。設計自体が古いため、現行の耐震強度をもっていない都営住宅も多いと聞いた。それを放置しておいていいのか。
 立派な施設が多数作られ、開催後は「野となれ山となれ」の状態となっている、長野オリンピックの二の舞はもうたくさんだ。


06/2/8 「死因は自殺」?

 『ライブドア元社員のエイチ・エス証券副社長が、那覇市のホテルで死亡した問題で、警察庁の縄田修刑事局長は7日、衆議院予算委員会で「死因は犯罪に起因しないと沖縄県警で判断している」と述べ、自殺との見解を示した。(後略)』
 以上、今朝の毎日新聞社会面の小記事より。

 週刊文春、週刊ポスト、フライデーなど出版社系の週刊誌や、ウェブサイトの「ストレイ・ドッグ」(ジャーナリスト山岡俊介氏の取材メモ)、「きっこの日記」などで、第一発見者の証言を含む多数の取材情報が公開され、いずれも暴力団絡みの他殺説を唱えている。
 冒頭の記事にあるのは、それらを否定するだけの内容を伴わない、何の説得力もない発言だ。
 沖縄県警は以前にも、事件が拡大するのを避けて、他殺が伺われる事件を早々と捜査打ち切りにしたことがあったという。今回も同じことをして、警察庁も同調していると推察される。としたら、事件がどの方面に拡大するのを避けようとしているのか。
 真相が明らかになるのを恐れ、各方面に圧力をかけている人物(あるいは組織)がいるに違いない。裏社会にも、表社会(警察機関)にも影響力を持つ人物だ。当然、政治権力のど真ん中にいるのだろう。


06/2/7 紀子さん懐妊

 FM局のアナウンサーが、興奮気味に秋篠宮妃懐妊のニュースを語っている。まちの声を伝え、「日本中が喜びに包まれて…」みたいなことを言っている。
 この手の報道に接するたびに、うんざりする。喜ばしいことではあるが、ぼくには、あまりつきあいのないご近所の奥さんが妊娠した、という程度の感想しかない。ぼくも日本の市民の1人だ。勝手に祝福ムードに巻き込まないでほしい。
 まもなくトリノオリンピックが始まる。こちらも「がんばれニッポン」コールが蔓延するだろう。ああもう……。

 小泉首相は、折から争点になっている皇室典範改正議論を、紀子さん出産後まで延期すると決めたようだ。そりゃそうだ。男の子が生まれたら、いま改正する必然がなくなるのだから。
 ここでは、出産という個人的事情が、政争の具となっている。マスコミは祝福ムードを醸し、不要なプレッシャーを与えている。
 そうした有形無形の圧力が、雅子さんの心を潰したのだ。1人の人間としての皇室の人々に思いを至らせると、同情したくなる部分が多い。

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