2008/06/17 懲りずにまた


 大型書店の古書コーナーで、またやってしまった。

「キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?」
  飴屋法水著、文春文庫PLUS

「アリクイといって皆さんが思い浮かべるやつはオオアリクイ。しかし、これは、まず飼えない。でかすぎる」「コアリクイなら飼えるかもしれない」「実は、昨年も日本の動物業界に何匹かのコアリクイが輸入されたようだが、ほとんど死んでしまったらしい。やはり、アリをちゃんと用意しとかないのがいけないのだ。アリもないのにアリクイだけ輸入したり買ったりする人の気がしれない。/ちなみに冷凍アリは、一キロで五千円ぐらい」

 といった具合で、「ライオンの飼い方 キリンとの暮らし方」(4/23に記述)よりも現実的。というのも、著者は珍獣ショップの店主なのだ(現在は廃業)。
 著者が実際に飼ったり扱ったことのある珍獣を多数記載してあるようで、読むのがとても楽しみだ。

 その他に本日購入した本。全部古書150〜200円の古書。
  恩田陸「六番目の小夜子」「三月は深き紅の淵を」
  瀬尾まいこ「幸福な食卓」「天国はまだ遠く」
  真保裕一「ストロボ」
 あとマンガで、村上もとかの傑作選を一冊。

 折があれば買おうと考えていたものばかりだ。
 全部合わせて1000円ちょっとで手に入り、実に得した気分。
 しかしこれで、積ン読の山がまた高くなってしまった…



2008/06/17 ビバ!五本指靴下


 昨年の秋から、五本指靴下を履いている。
 足指の間のじめっとした感じや、ひっつく感じがまったくなくなる。ほとんど裸足の感覚。裸足大好き人間としては、快適の一言。いまさら普通の靴下は履けない。

 ただ困るのは、人前で靴を脱ぐときに、ちと気恥ずかしいこと。軍足のような実用感たっぷりのものだと、いくらなんでも…と思ってしまう。
 それで少しはデザインされたものを探すのだけど、生憎なかなかみつからない。
 もうちょっとこう、カッコよかったり、見た目が爽やかなものが増えると嬉しい。そうすれば、もっと普及すると思うんだけどなぁ。



2008/06/13 田んぼを見ながら


 用事で市役所に行った。
 一昨年に合併して市になるまで村だった当地の役場は、うちからだと、両側に田んぼが広がる道を3キロばかり走った先にある。

 やや強い日差しを浴びながら、一本道を自転車で走る。次第に汗ばんでくるが、渇いた風が乾かしてくれる。まだ丈の短い稲の上を、淡緑の波をつくりながら風が通り過ぎていく。初夏のすがすがしさ。

 用事を済ませ、仕事場に向かう。走行距離数キロの、大半が田んぼの中の農道。苗の間に見える水のきらめきも、稲の青葉も目に優しい。

 堆肥にするために積み上げてある、稲わらや籾殻の山を見かける。
 手入れをしているのか、水路に下りているおじさんがいた。
 休耕田も耕して水が張ってあり、手入れを怠っていない。

 そして思う。米を、食べ物を、もっと大事にしないといけない、と。

 日本で稲作が始まったのが弥生時代。水田は、長いところでは1000年以上、新しいものでも数十年以上、同じ場所にあり、お百姓さんの手を借りて、米を育ててきた。
 米は年に1回、多くても2回しか穫れない。土を肥やし、手入れをし、何か月もかけて稲を育てて、収穫は年に1回か2回。それを数十回、数百回、長いところでは1000回以上も重ねてきている。
 そうして穫れた米を食べて、日本人は生きてきた。実際には白米を腹一杯食べられるようになったのは、近代になってからだという。それでも、米をつくってきたからこそ、日本という国がいままで続いてきたのは確かだ。

 そういう、長年の歴史と、農民の苦労と収穫の喜びが詰まった田んぼを、「米余りだから」と、強制的に休耕させていいわけがない。生産効率が悪いから、工場をつくるからと、安易につぶしていいわけがない。

 小麦はほぼ完全に輸入に頼っている。トウモロコシなどの家畜の飼料も輸入品だ。生乳は消費が減ったからと生産調整が続いている。
 そんな折に、様々な事情で農産物の輸入量が減ってきた。結果、小麦の価格が上がり、パンも麺類も値上げされる。飼料の価格上昇で養鶏業者や畜産業者は悲鳴をあげている。肝心な牛が足りないから、牛乳の増産などしようもなく、バターなど乳製品が品薄となる。

 食糧を輸入に頼ってきた結果が、これだ。
 まして、主食である米までも輸入しているのであれば、この先の食を巡る問題の行き着く先は目に見えている。

 自分たちの食べ物を自前で賄うことを放棄し、他国からはるばる船で運んでくるのが、まっとうな国のやることだろうか。
 それが当然と思っているのは、おかしくはないか。


 かなりエキサイトしてきた。日差しが強いため、頭に血が上っている。




2008/06/09 小説と現実との符合


 土曜日に森巣博「蜂起」を読了。
 日本の社会にはびこる理不尽なシステムによってドロップアウトさせられた人々が、社会への復讐として個人的な破壊活動を始め、それを押さえ込もうとして政府機関が暴走を始め……といった、ものすごく毒のある小説。

 左派の硬派雑誌「週刊金曜日」に連載された作品なのだが、生々しい性描写や、犯罪者の倒錯した思考描写もあり、連載時には読者からの批判がすごかったらしい。
 しかし、作品の根底を貫く主張−−大きな力に飲み込まれるな、個人よ立ち上がれ!−−は、批判されるものではない。むしろこの時代に求められるものだと、ぼくは思っている。

 読了翌日の8日(日曜日)、週末の歩行者天国で1人の青年がサバイバルナイフを振りかざし、居合わせた人々を次々と刺すという、無差別殺害事件が発生した。
 3月に茨城県土浦市で起きた通り魔事件と、犯人は同じ年代。「殺すのは誰でもよかった」と同じセリフを残し、凶器も同じ。

 「蜂起」では、一つの事件が次の事件を呼び起こし、連鎖的に拡大していくさまが描かれていた。
 昨今頻発している理不尽な殺人事件といい、通り魔事件の連発といい、小説に通じるかのような現実の推移に慄然とする。そして、小説家が描いた破滅的な近未来が現実とならないことを祈りたい気持ちになる。
 ただ一方で、それらの事件を「一部の異常者による、異常な犯罪」と、世間が認識している限り、破滅への歩みは止まらないのでは……とも思い、ますます背筋が寒くなる。



2008/06/07 居酒屋タクシー


 霞ヶ関の国家公務員が、タクシー運転手から缶ビールやら現金やらの接待を受けていたと、問題になっている。
 それもそうなのだけど、ぼくが驚いたのは、とくに問題視されている人物は、毎晩埼玉県の住まいまで、2万5000円の料金を払って(もちろんタクシーチケットで)帰宅していたと言うことだ。
 週5日としても、1か月あたり50万円以上のタクシー代。1人分で!

 霞ヶ関の役人が深夜まで働いているのは、ドキュメント小説などを読んで知っていた。苦労が多い仕事(旨みも多い)なのも推察できる。しかし、だからといって、毎晩片道2万5000円とはどういうことだ。
 民間ならば、どう考えたってありえない。終電前に帰宅するか、都内に部屋を借りて単身赴任するのが“普通”だ。でなけりゃ自腹だろう。

 そういう働き方、働かせ方がいいとは思わない。けど、無制限にタクシー代を払っていいはずがない。
 国の財政が厳しいからと、税金アップや補助金カットをしておきながら、その方針を決めた役人は毎晩タクシーで帰宅している。その無神経ぶりに唖然とする。

 新聞記事に「『自分たちはエリートだから許される』という意識があった」というコメントが載っていた。
 「エリート」だからこそ、市民感覚を理解していない。スーパーの特売チラシを気にする主婦や、安い居酒屋を探すサラリーマン、病院通いのバス代に頭を痛めるお年寄り、より時給の高いアルバイトを探す若者たち、などの気持ちを、想像したことも実感したこともないのだろう。

 そういう連中が、市民の生活を大きく左右する方針を考え、実施させようとする。
 何とナンセンスなことよ。なんと馬鹿げたことよ。



2008/06/02 テニス部、忙しそう


 中学1年の娘がテニス部に入り、今日から朝練が始まった。
 朝7時に学校に集合とかで、ぼくが起きる前に彼女は出かけていった。
 この先毎朝ずっとだそうだ。

 テニス部は土曜日も朝練があり、日曜日も、2週に1回くらい
 練習試合やら公式戦があり、ほぼ1日出かけている。

 昨日地元で行われた、大人も参加するオープンテニス大会で、
 3年生のダブルス3チームが、上位3位を独占したという。
 知らなかったが、地元ではそこそこの強豪らしい。

 しかし、だからといって、その練習量は、
 中学生の部活の域を超えているような気がする。
 娘は朝練のために出かけてから、部活を終えて帰宅するまで、
 丸12時間を学校で過ごしている。
 他所の学校、ほかの運動部も、似たようなものなのだろうか…?

 ところでぼくは、先週から仕事の繁忙期に入った。
 10日くらいまで連日、夜10〜11時の帰宅が続く。

 我が家では、家族揃って食卓を囲むことを重視している。
 子どもが成長するにつれ、その機会も徐々に減っていくのだと、
 じんわりと気づき、やや寂しい思いをしている。



2008/05/19 ヒメジョオンが咲いてます


 我が家の庭は雑草だらけ。
 というのも、手入れの行き届いた「庭」でなく、「広場」(広くはないけど)のイメージにしておきたいと思うからだ。子どもがバッタを捕ったり、野の花が咲いているなんて、面白いじゃないか。

 ちょっと前には、青く可愛らしいオオイヌノフグリや、ホトケノザ、タンポポ、ヒメジョオンが花を咲かせていた。いまは、名前はわからないけど水色の小さな星形の花や、野生のポピーみたいな小さな朱色の花、カタバミの黄色い花なども加わり、庭を彩っている。


 雑草といっても、その花、その草はそれぞれ異なる。で年によって、勢力を誇る草が変わっていくのが興味深い。

 引っ越してきたその年は、セイタカアワダチソウとスギナとだらけだった。こいつらは放っておくと、地下茎で増えてやっかいなので、地道に抜いた。
 そしたら翌年は、タンポポやウラジロチチコグサが増えた。ウラジロチチコグサも面倒な草だから抜いていたら、その翌年はオヒシバとエノコログサ=ねこじゃらしが繁殖。その翌年(去年)はシロツメクサ=クローバーとカラスノエンドウだらけだった。カラスノエンドウはトルアキママ。

 今年は一面クローバーを期待したのだけど、残念ながら違っていた。まだ名前を調べていないのだけど、やたらと根が張るイネ化の植物が生い茂っている。これも勢いがあるから、ちょっとずつ抜いていかないといけない。


 そんなわけのわからない庭は、ご近所を見渡しても我が家だけ。みなさん芝庭だったり、花壇があったりときれいにしている。
 うちがある住宅地の区画は、かなり埋まってきているのだけど、なぜかうちの両隣は空いたまま。ログハウスで庭も野放図、そんなお宅の隣人になりたくないと、思われているのかもと少々気になる。



2008/05/16 予約が苦手


 昨日、歯医者に行った。12時の予約。
 朝のうちに、「11時半に片付けて、45分には出よう」と段取りする。

 メールチェックをし、mixiを見たり書いたりしているときに、ふと気になって時計を見る。10時過ぎ。あと1時間ちょいか。

 一通りの朝の日課を終えたら10時半。あと1時間。やらなければいけないことはあるが、残り時間が中途半端。作業途中で中断するのも、時計を気にしぃしぃ作業するのもイヤだ。メールの返事など細かいことを済ませて、余った時間はけっきょく本を読んで過ごす。
 歯医者から戻ってから、雑事をバタバタと片付けた。

 毎度そんな感じで、日中に時間の約束をすると、それが気になってしょうがない。でもって、時間を気にしてアタフタしている自分がうっとおしい。

 今日も1時に、髪のカットを予約してしまった。12時50分に出るとして、その前に昼飯を済ませるとなると、残り時間は1時間半くらい…
 何ができるか、何をしようかと、考え始めてもう憂鬱。



2008/05/12 トイレの電気


 うちのトイレのドアの内側に、「のぞみ でんきを けしなさい!」と書かれたメモが貼ってある。
 望(長男・5歳)がトイレで用を足した後、電気を消し忘れることが多く、業を煮やした細君が貼ったものだ。

 細君が夜の内にそのメモを貼り、翌朝、何も知らずにトイレに入った望は……どういうわけか、目をつぶり、手探りでトイレのスイッチを探して電気を消した。
 ポカンとする細君に向かって、彼は得意げに語ったのだった。
 「目をつぶっても、電気消せるよ」

 つまりその、目をつぶって=メモを見なくても、自分は電気を消すことができるのだよ、ご心配なく、ということらしい。

 本気でそう思っているのか(だったらメモを貼られる前に消すようにしろって)、まずい状況を打破するためにボケをかましたのか。そこがいまいち判断できないのだけど、とりあえず、予想だにしない彼の行動に、ぼくは朝っぱらから骨抜きにされたのだった。


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